島村英紀『夕刊フジ』 2022年5月13日金曜)。4面。コラムその444「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

多摩川下流部の地下に軟弱な「沖積層」

夕刊フジ』公式ホームページの題は「首都圏直下型地震が起きれば…多摩川下流部の地下に軟弱な「沖積層」」

 「沖積層(ちゅうせきそう)」が厚いところは関東地震(1923年、マグニチュード=M=7.9)で木造家屋の被害が大きかったところと、例外なしに一致していた。

 海岸近くを含む三次元の詳細な地図が作られたのは今回が初めてだ。多摩川下流の流域で数千カ所のボーリングをして、地下の様子を探ったものである。

 多摩川は東京湾に流入する河川では最大の流量を持つ。この川に沿って分布する多摩川低地には京浜工業地帯や羽田空港だけではなく、神奈川・川崎市と横浜市、東京・大田区が含まれ、首都圏の中でも多くの人口が集中しているところだ。

 多摩川が流れた結果、広がる沖積層が下流の地下に厚く広がっている。沖積層は川崎市や大田区など多摩川の下流域に広く分布していて、厚さが40〜50メートルもある。なかでも羽田空港周辺の東京湾沿いは、沖積層の厚さが約70メートルにも達している。

 沖積層は低地で平坦な地形であることから住宅や工場、交通網などに適している、このため都会が発達している。東京、大阪、名古屋などの日本の都市はほとんど沖積層の上に築かれている。

 一方で沖積層の欠点もある。沖積層は水害の影響を受けやすく、また柔らかい地盤であるために地震被害や地盤沈下といった災害を受けやすい場所でもある。

 東京は水の都だ。トラックがない昔は縦横に掘られた運河を利用して物資の運搬をしていた。埼玉・大宮はもちろん、川越くらいまで、川や運河を使って船運で運ぶのが普通だった。

 そもそも、もっと昔は東京の海面は現在より120メートルも低かった。1万年前まで続いた氷河期だった頃だ。多摩川流域にも深さ40〜50メートルの複数の谷があった。その後の海面上昇によって泥が周囲から流れ込んで、谷は埋まり軟弱な沖積層が上を覆った。厚い沖積層は東京の南部だけではなく、銀座や新橋、それに荒川に沿って埼玉県にも伸びている。沖積層が薄いのは板橋区、練馬区、世田谷区などの高台だけである。

 沖積層が厚いところは、同じ大きさの地震波が入ってきても揺れが大きくなる。

 近来、首都圏で一番大きかった地震は関東大地震だ。当時は震度7はなかったが、いまだったら、当然震度7なみの揺れがあったはずだ。震度7とは青天井で、これ以上の揺れはない。気象庁は福井地震(1948、M7.1)の惨状を見て、慌てて震度6までだった震度階に震度7を付け足した。

 しかし、関東地震よりも大きな揺れが首都圏を襲わないとは限らない。

 私の知人の曾祖母は千代田区麹町に住んでいたが、1923年の関東地震の前に1855年の安政江戸地震も体験していた。その曾祖母が言うには、安政江戸地震のほうがずっと揺れた、関東地震はそれに比べれば、むしろ小さかったという。安政江戸地震は、1995年に起きた阪神大震災を超える内陸最大の直下型地震で、江戸(当時の東京)での死者は1万人を超えた。

 恐れられている首都圏直下型地震が起きれば、沖積層が厚いところは被害が大きくなるに違いない。

この記事
  このシリーズの一覧


島村英紀・科学論文以外の発表著作リストに戻る
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」へ
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
本文目次に戻る
テーマ別エッセイ索引へ
「硬・軟」別エッセイ索引へ