島村英紀『夕刊フジ』 2022年5月27日(金曜)。4面。コラムその446。「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」
月の土で植物栽培に成功したが発育は遅く
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「月面の土で植物を栽培してみたら 発芽には成功したものの発育が遅く…色素にも変化が」
私がアルゼンチンが持つ南極基地を訪れたのは早朝だった。朝はジャガイモ剥きから始まっていた。早朝、食堂でコックは倉庫から出してきたジャガイモを黙々と剥きはじめる。そのジャガイモは、とっくにしなびてしまって芽も出てしまったものだ。
無理もない。基地の食糧はすべて年に一度だけ補給の砕氷船で持って来て以来、新しいものは何も来ていないからだ。それを食べ尽くしたあと、乾燥野菜や缶詰の長い繰り返しになる。それでもひと昔前と違って懐血病にならないためのビタミンCの錠剤はある。
日本の越冬基地でも越冬隊員の交代とともに補給船で新しい食料が届く。越冬隊員にもっとも喜ばれるのは、歯ごたえのある生のキャベツだ。
月面基地での生活も南極基地と似たようなものだろう。補給は遅く新鮮な野菜は手に入らない。
月面で食料を供給する夢の第一歩が新鮮野菜だ。将来、人類が月に移住するとしたら、そこで食料を生産できれば大いに助かる。月の土で農作物を作ることが可能かどうかの実験である。
それに植物は月面にはない酸素を作ってくれる。いま地球に2割ほどある酸素は、元来、地球にあったものではない。植物が作ってくれたものだ。人類も動物も、その恩恵で地球に暮らせるようになったのである。
米国のアポロ計画で採取した月の土で、アブラナ科の植物を育てることに成功したと、米国・フロリダ大学チームが4月に発表した。アポロ計画で持ち帰った月の土は、地球の生命を脅かす病原菌がいる可能性があったから長らく密封されていた。だが、この実験を行うために開封された。
月の表面は「レゴリス」という土に覆われている。その土はガラス質の小さな球からできている。隕石(いんせき)が衝突すると表面が急激に溶けて一気に冷却される。小さな隕石が数多く衝突したことで塵状の堆積物になる。
実験に使われたのは、アポロ11号、12号、17号で持ち帰られたレゴリスだ。いずれも火山性の地域から採取されたもので、年代が違う。
実験では、1グラムのレゴリスが詰められた入れ物に種を植え、栄養入りの水を下から給水した。種(たね)はアブラナ科の「シロイヌナズナ」で研究に広く使われ、遺伝子の機能も理解されているので選ばれた。
種を植えてから2日ほどで正常に発芽し、1週間後にどれもごく普通に発芽して、まったく問題はないように思われた。
ところが根を調べてみると、レゴリスに植えられたものは成長に遅れがあることがわかった。砂粒のサイズや組成が近い火山灰にまいたときと比べて、根は短く葉を広げるのも遅かった。レゴリスで育てられた植物は、全体に成長が遅く、ばらつきがあった。葉を開くまでに時間がかかり、大きさも小さかった。そのうえ背が低く、色素にも変化があった。
月の土を使った農業は、補給船が運ぶ物資の節約にそれほどつながらず、あまりメリットがないことが分かった。植物にとっては、かなり育ちにくい土だ。月の土を植物に適したものにするには、手間も物資も必要になるのであろう。
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