島村英紀『夕刊フジ』 2022年12月16日(金曜)。4面。コラムその473「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 



お国ぶりが見える日本と欧州の地震学

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「お国ぶりが見える日本と欧州の「地震学」 いまや地球内部を研究する手段、科学ではあるが珍しく人間くさい♀w問」

 インド哲学のようなものは別にして、多くの学問はヨーロッパにそのルーツを持っている。

 しかし例外がないわけではない。地震学という学問は日本で始められたものなのだ。とはいっても、日本人によってではなくて、明治の初期に別の学問のためのお雇い外国人教師として東京に滞在していたヨーロッパの学者が、生まれて初めて地震というものに遭ったのだろう、地震で肝を潰したことで始めた学問なのである。

 その地震は1880年(明治13年)に横浜の近くで起きた。マグニチュードという地震の大きさを測るものはまだなかったが、のちの推定ではマグニチュード(M)5.5〜6くらいと推定される。

 被害は東京で壁が落ちたくらいだったが、横浜でかなりの煙突が倒壊した地震だった。地震慣れしている日本人にはめったにない地震ではなかったものの、外国人たちにとっては恐怖の体験だったに違いない。

 地震波が地球の中を通り抜けて地球の反対側に達することが発見された。それ以来、地震そのものを研究するだけではなくて、地震学は地球の内部を研究するためになくてはならない手段になったから、地震学は世界に広まった。

  この発見にも日本が関わっていた。地球を貫いて反対側にまで地震波が達したのが初めて分かったのは、1889年(明治22年)に熊本で起きたM6.3と推定される地震が、ドイツの地震観測所で記録されたときだったからだ。X線も電波も地球の中を通り抜けられないから、地震波は地球を通り抜けられる唯一の波だということが分かったのだ。貴重な発見だった。

 2001年に瀬戸内海の地下で起きて2人の死者を生んだ芸予地震(M6.4)は、中国地方の地下に潜り込んでいっているフィリピン海プレートが起こした。プレートは四国の南方沖にある海溝(南海トラフ)から、滑り台のように四国と中国の地下に潜り込んでいっているのだが、その先端がどこまでいっているのかはまだ知られていない。プレートが潜り込んで行っていても、地震を起こさない限りプレートがどこにどのくらいまであるのか分からない。ある深さだけに地震が起きるルーマニアもそうだ。

 ポルトガルはヨーロッパ有数の地震国だ。1755年にリスボンの沖で起きた海底の地震では大津波で当時のリスボンの人口の3分の1を失った。また大西洋中央海嶺の上にある地震と火山の島、アゾレス諸島もポルトガル領だ。小国でも地震学者が多いゆえんである。

 ヨーロッパの地震国でも、地震そのものを研究していない地震学者は多い。世界的にも地震学の研究者のなかでは、地球内部を研究している学者が圧倒的に多い。私は両方を研究しているが、日本では地球内部研究は少数派だ。

 日本の地震学会とヨーロッパの地震学会はかなり違う。これは、日本が地震に痛めつけられてきたことと決して無縁ではない。これが数学や物理学の国際学会だったら、国際地震学会とは事情は大いに違うだろう。

 地震学は科学ではあっても珍しく人間くさい、人間社会から離れられない学問なのである。
 
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