島村英紀『夕刊フジ』 2014年6月13日(金曜)。5面。コラムその55 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

人間&社会ドラマを読み解く古地震学

 古地震の研究はいろんなところでつまづくことがある。

 古地震学で難しいことは、報告が地域的に偏在していることだ。西日本に比べて東北地方や北海道は古い報告がごく少ない。とくに北海道では先住民族が文字を持っていなかったために地震の歴史は150年ほどしかたどれない。

 本州でも、ある藩では記録が行き届いているのに、同じ地震でかなりの被害があったはずの隣の藩はほとんど報告がないことがある。

 記録をきちんと書き残しているかどうかという藩としての文化の違いもある。しかしそのほかに、地震の被害を書き残すことが藩の弱みを見せることになるという政治的配慮が働くことがある。逆に、幕府からの災害の復旧の金や年貢の減額を期待して誇張した文書もある。

 つまり地震の記録が残っていることにも、また残っていないことにも当時の事情が反映されているのだ。

 地震学から言えば、こういった記録の偏在があると、震源の位置や地震のマグニチュード(M)の推定が違ってきてしまうので、とても困る。

 Mは被害や揺れが及んだ範囲から推定されるし、震源は被害がいちばん大きかったところだと推定される。被害や揺れが震源から遠ざかると減っていく。震源の深さは、その減り方が多いか少ないかから推定する。震源が深いと、遠くへいっても揺れが小さくなりにくいからだ。

 それゆえ古地震学では、書き残された記録から紙の「裏」を読んだり、人間と社会のドラマを読みとることも必要なのである。

 こうした古地震研究の結果、日本だけではなくて世界でいくつかの地震の表が作られている。

 だが表がいつも正しいわけではない。もっとも権威があると思われている古地震学の表に「13万7000人が亡くなった北海道の大地震」という記録が載っている。

 時は1730年12月30日。こんな時代に、これほどの犠牲者を出すほどの人口が北海道にあったのだろうか。

 このナゾは近年にようやく解けた。これは江戸で大被害を出した元禄関東地震の誤記だったのだ。

 元禄関東地震は西暦1703年12月31日に起きた。地震学では世界標準時(UTC。かつてグリニッジ標準時と言われていた)で地震の日時を表すのが普通だから、国際的には12月30日になる。そして学者が1703を1730と間違えた。そればかりではなくて、エド(江戸)をローマ字で書くと一文字しか違わないエゾ(蝦夷)に間違ったものだったのである。

 また1737年にはカムチャツカ(ロシアの極東)に巨大な地震津波が発生して死者3万人という記録もある。これも権威ある表に載っているので、地震学の教科書に引用されている。

 ところがこれは、その表が元にした原典で1行あとにあったコルカタ(インド。かつてカルカッタと呼ばれた)の地震の死者数を間違えて写してしまったものだということが分かった。

 学者といえども人間。ありそうな書き間違いではある。

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