島村英紀『夕刊フジ』 2014年6月27日(金曜)。5面。コラムその57 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

日本でいちばん揺れた街を超える千代田区の「怪」

 震度4とは歩いていても車を運転していても地震だと感じる揺れだ。天井からつり下げているものが激しく揺れたり、すわりが悪い置物が倒れる。しかし建物にはまず被害はない。
 
 
震度5になるとタンスなど重い家具が倒れたり棚にある食器類や書棚の本の多くが落ちる。マンションの入り口の鉄のドアが変形して開かなくなることもある。
 
 第二次大戦後、震度5を超える地震に16回も遭ったという町がある。北海道の襟裳(えりも)岬の近くにある浦河町である。

 この同じ期間に大阪も札幌も、あるいは北海道の同じ太平洋岸にある室蘭でも震度5は1回もなかった。地震の起こりかたは世界的にはもちろん、日本の中でもとても不公平なのだ。浦河では平均4年に1回ずつ、震度5という大きな揺れを経験しているわけだ。うち5回は震度6だった。

 しかし浦河ではどの地震でも犠牲者は一人も出さなかった。

 浦河の町に行ってみると、その秘密がわかる。瓦屋根はなく家はトタンの屋根だ。屋根が軽いことは地震の揺れには十分強いことなのだ。そのうえ雪が積もってもつぶれないように家も丈夫な作りになっている。

 また町の中の道は広く、地震で火が出ても延焼することが少なくなっている。商店では地震で揺れても商品が落ちないような工夫がされている。つまり「地震馴れ」している町なのだ。

 浦河に地震が多い理由は、約2000万年前、北海道の東半分と西半分が別々の島だった歴史にさかのぼる。北海道東部の地形がのびやかで、西半分の景色とはちがうのはもともと別の島だったせいなのだ。

 その二つの島がプレートの動きに乗って近づいてきて、やがて衝突した。北海道の中央部を南北に走る日高山脈がその二つの島のつなぎめになっている。

 日本列島はプレートに押されていて、そのために地震が起きたり火山が噴火したりしている。だが北海道では、そのほかに昔の衝突の「残り火」が日高山脈の地下に残っているのである。

 このため浦河付近では太平洋沖で起きる「海溝型の大地震」のほかに「日高山脈直下型の地震」も起きる。それゆえ海溝型地震が目の前に起きる釧路よりも地震が多い。

 ところで東京(千代田区)は戦後の震度1の地震は2170回で、浦河の1960回よりも多い。全国でも多いほうなのである。小さい地震はプレートの活動の活発さ、つまりいずれ起きる大地震も含めて平均的な地震活動を反映するバロメーターのはずなのだ。

 しかし不思議なことに東京都千代田区では震度5が東日本大震災(2011年)とさる5月5日の伊豆大島近海の地震を入れても4回しかなく、震度6は1回もない。

 だが、ここ数百年の期間で見れば首都圏での強い地震は決して少なくはない。関東地震(1923年)以後だけが異常に少ない期間が続いているのだ。東日本大震災以後、これが「普通」の、つまりもっと地震が多い状態に戻る傾向があるのが気がかりである。

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