島村英紀『夕刊フジ』 2014年9月5日(金曜)。5面。コラムその67 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

噴火口がつくる「天然の良港」

 先日のアイスランドに続いて、パプアニューギニアでも火山噴火が始まった。両方とも、私が研究のために行ったところだ。

 8月29日にラバウルにあるタブルブル火山(標高約220メートル)が火山灰を上空18キロまで吹き上げた。噴煙や地鳴りが続いているので火山近くの住民を退避させ、周辺地域の住民にも屋内にとどまるよう呼び掛けている。

 ラバウルは日本からオーストラリアへの飛行機からよく見える。このため前回に書いたように火山灰によるエンジンの損傷を怖れて、カンタス航空(オーストラリア)は、シドニー−成田便の航路変更を決めた。

 ラバウルはニューギニア島の北東にあるニューブリテン島の町で人口は10万人。歴史的な文書が残っている最近200年だけでも7回もの大噴火があった。

 いちばん最近の大噴火は1994年で、市街地に3-10メートルもの火山灰が積もった。火山灰は州政府や市役所や警察や消防がある官庁街と商店街を直撃して建物を押しつぶした。噴火直後に熱帯特有のスコールが降ったために泥流と洪水が発生し、降灰の被害はさらに大きくなった。

 私が行ったのはこの噴火後の1996-1997年で、オーストラリアの研究者とともに、ラバウル周辺の地下に拡がっているマグマを探る研究だった。

 噴火でラバウルの町は廃墟になったままだった。幸い、今回の噴火はそれほどの規模にはなるまいと思われている。

 タブルブル火山は私の滞在中にも小噴火した。その数日前には、私の知人であるスペインの地球化学者が噴気ガスを採取するために山頂に登っていた。危ないところだった。また知人のオーストラリア人の火山学者は、研究を続けていて火山灰を吸い込んでじん肺になった。火山を研究する学者は職業としてはもっとも危ない科学者なのである。

 じつは私は1971年にもラバウルへ行ったことがある。観測船で訪れたものだ。ラバウルは1975年の独立前でオーストラリア領だった。植民地としてのいろいろの問題があったはずだが、緑に覆われた熱帯の楽園に見えた。いつまでも続くように見えた平和な楽園の暮らしは噴火で一変してしまったのだ。

 ラバウルは第二次世界大戦中、地理的な位置と天然の良港ゆえ日本軍が南方進出の足がかりにした大基地で、10万人もの日本軍が滞在していた。漫画家の水木しげる氏が従軍していて左腕を失ったのもここだ。

 州都であり日本軍の大基地でもあった理由、「天然の良港」を作っているのは、じつは海沿いにある昔の噴火口だ。ほぼ円形で外海の波を防げるし、中は十分深い。戦時ならば潜水艦が身を潜めるにも最適だった。

 地球科学者から見れば、そもそもラバウルは火山カルデラの中に町を造ってしまったところだ。このためタブルブルほかいくつかの火山に取り囲まれている。

 いや、ラバウルには限らない。伊豆大島の南端にある波浮(はぶ)港も噴火口なのだ。世界各地で海際の噴火口は「天然の良港」なのである。

【2017年3月に追記】左の写真。波浮港のすぐ北側には火口壁がそびえている。

この噴火口は9世紀の噴火で出来た。その後、1703年の元禄関東地震のときの大津波で海とつながって「港」になった。だが、この開口部は満潮時にしか船の入出港ができないほど浅かったので、
江戸時代末期(1800年)に開削して、現在の形の港になったものだ。かつては、風待ちの港として遠洋漁業の中継基地としても栄えた。

左上は大島最大の町、元町。右上に大島空港が見える。宮崎・羽田間の定期旅客機から
2016年11月に撮影。

(上の写真は1994年の噴火で火山灰に埋まったラバウル。島村英紀撮影。なお、このほかのラバウルの写真は

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