島村英紀『夕刊フジ』 2014年12月5日(金曜)。5面。コラムその80 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

「地震の名前」めぐる政治的駆け引き

 長野県北部で起きた強い地震は名前をつけてもらえなかった。地震に名前をつける権限を持つお役所は気象庁なのだが、名前をつけなかったのだ。

 この地震は11月22日に起き、33棟の家が全壊するなど大きな被害が出た。マグニチュード(M)は6.7、震源の深さは5キロとごく浅かった。

 地震を命名する気象庁の基準では「地震の規模」として「M7.0 以上(海で起きた地震ではM7.5以上)、かつ最大震度5 弱以上」とある。またもうひとつの基準では「顕著な被害(全壊100棟程度以上など)が起きた場合」とある。全壊したり地震で被災した人にとっては大変な被害をこうむったわけだから、その地震に名前がないのは不満かもしれない。

 じつは地震に名前がつくまでには、ときには政治的な綱引きが水面下で行われているのである。気象庁の基準では原則として「年号+地震情報に用いる地域名+地震」としてあるが、実態はもっと複雑だ。

 1968年に「1968年十勝沖地震」(M7.9)が起きた。函館で大学が倒れるなど、北海道南部と青森県に大きな被害を生んだ。この地震の震源は、北海道襟裳(えりも)岬と青森県八戸のほぼ中間点にあったから、青森県も大きな被害をこうむったのだった。

 しかし、地震の名前が十勝沖だったばかりに、国民の同情を集めたり、政府の援助を獲得するうえで、青森県はたいへんに損をした、と青森県選出の政治家は深く心に刻んだのにちがいない。15年後の1983年に秋田県のすぐ沖の日本海で大地震(日本海中部地震。M7.7)が起きたときに、この政治家はいち早く気象庁に強い圧力をかけたと言われている。

 そして、この地震は明らかに秋田県の沖に起きたのに、「秋田沖地震」ではなくて「日本海中部地震」と名づけられた。

 地震学的に言えば日本海「中部」には地震は起きるはずがない。起きたのは日本海全体から言えば、東のほんの端である。日本海中部というのは、科学的にはなんとも奇妙な名前なのだ。日本海で被害を起こすような地震が起きるところは日本海ではごく東の端の日本沿岸だけなのである。中部でも西部でもない。

 東日本大震災を起こした地震の名前は「東北地方太平洋沖地震」と名づけられている。考えてみればこれも沿岸各県に政治的な配慮をしたへんな名前だ。「日本海中部」のように「太平洋沖」とするとハワイや南米沖まで入ってしまうから、こんなとってつけたような組み合わせの名前になったのであろう。

 かつて1987年の国鉄民営化のときに名前を作ったのにまったく普及しなかった「E電」(都市近郊の電車)のように、一般の人々からは忘れられている名前なのだ。

 ところで「東日本大震災」のように地震と震災には別の名前がつくことがある。政府(内閣府)が震災に名づけるもので、「阪神・淡路大震災」や「東日本大震災」がある。前者は地震としては「兵庫県南部地震」だ。

 地震や震災の名前の命名は、かくも複雑なのである。

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