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いくら船酔いをしていても、船の上でしなければならない仕事は否応なしにやってくる。起きて無理に仕事をすることは、船酔いを一層、悪化させることになる。

 これは、ノルウェーで使われている船酔いの薬。コロナ以来日本でも有名になったファイザー製の薬だ。随分、高価な薬だ。

 もちろん日本製もある。しかしノルウェーで使われているこの薬のほうが効きが早く、よく効くという話だ。内服薬ではなくて、耳の後ろに張るものもある。胃を痛めない利点がある。

 しかし、これらの薬が万人に効くとは限らない。

【以下は島村英紀『日本海の黙示録―「地球の新説」に挑む南極科学者の哀愁』から】
 船での観測は日数がかかる。長ければ数カ月を船の上で過ごすこともある。帰ってきたときに愛児に泣かれて当惑した地球物理学者も多い。子供に顔を忘れられてしまったからである。
 私たちが借りられる船は小さいものが多い。だから、船酔いはつきものだ。
 搖れの少ない日は、何日かに一日はある。しかし、始めから終わりまで搖れない航海というものはない。
 船酔いはいやな病いだ。船から逃げ出すことは出来ない。
 しかも皆が等しくかかる病気ではない。どんなに揺れてもケロッとしている人を見ることは、船酔いを一層悪化させる。
 ところが、その逆のこともある。A先生は自分が気分が悪くなると、船室で寝ているHさんを「見舞い」にいくのが常であった。Hさんはとくに船に弱く、誰よりも早く船酔いになり、誰よりも症状が重い。A先生はぐったりしているHさんを「見舞った」あとは、安心して少し元気になるのである。

 いくら船酔いをしていても、船の上でしなければならない仕事は否応なしにやってくる。海底地震計の設置準備や海底への設置作業などだ。じっとベッドに寝ているのならまだしも、起きて無理に仕事をすることは、船酔いを一層、悪化させることになる。
 こんな雰囲気の中では、ともすれば悪いことが起きる。陸上の実験室では考えられないようなつまらない失敗を犯すことが、よく起きるのである。たとえば電線のつなぎ間違い。赤は赤、黒は黒、と唱えながら赤い電線を黒い電線につないでしまった失敗さえあった。
 どれも、なぜそんなミスをしたのか、あとからはとうていわからないような初歩的な失敗だ。船酔いや、狭い船内という拘禁状態から来るストレスのせいに違いない。
 しかし、たったひとつの小さなミスでも、何カ月もかけて準備した海底地震計の観測をダメにするのには十分なのだ。記録が全部フイになったり、地震計が海から帰ってこなくなることさえある。天を恨んでもしょうがない。せめて、私たちが飛行機の整備士や外科医でなかったことを感謝すべきなのだろう。

 それでも、この海底地震計を入れる貴重なガラスの球を、落としたりぶつけたりして、ときどきはダメにしてしまう。原因は船の揺れだったり、船酔いをしたあげくの、ちょっとした不注意などである。こんな悲劇が起きても、もちろん、誰も恨めない。

【以下は島村英紀『地震学がよくわかる---誰も知らない地球のドラマ』から】
 船では陸上の生活とは違うことが起きる。船が傾くから目薬が差せない。助手のYさんは階段の手すりが「ぶつかってきて」頭を打った。ほとんど落語の世界だ。もっとも危険なものは開いたままの扉だ。船が揺れたら扉にはり倒されることになる。もちろん、大事なものが机から落ちたら一大事だ。陸上なら修理を頼んだり部品を取り寄せたり出来るが、船では、なにかたった一つが壊れただけでも、観測の命取りになる。

 食事だけが楽しみ? たしかにそうかもしれない。ところが、船酔いのときには食欲もなくなるのだ。食べられないときに自分の好物が出ることほど恨めしいことはない。

 そのうえ、揺れがひどくなると、食事も簡素なものになってしまう。少しでも海況が悪いと、まずなくなるものが天ぷらだ。煮えたぎった油が天ぷら鍋の中で踊りまわるのがどんな危険なものか、容易に想像がつくだろう。それ以上揺れてくると、調理に手間がかかる料理から順番に食卓から消えていく。最後は乾パンになってしまうのである。
 そのうえ、外国船だと習慣の違いもある。ノルウェー船での二ヶ月の航海でジャガイモばかり出されているうちに、助手のYさんはジャガイモ恐怖症になってしまった。航海から一年以上たった今でも、ジャガイモが食べられない。
 じつはノルウェー人のコックは、それなりに気を遣ってくれたのだ。ときどきはコメを出してくれる。しかしノルウェー人にとってのコメは主食でなく、野菜なのだ。コメは炊かない。煮ただけで蒸していないコメをサラダに入れてくれる。パサパサの長粒米だ。
 これはYさんにとっては逆効果だった。見かけだけは美しい悪女のようなものだ。航海の後半、Yさんはチキンライスの夢、それも出身の京都大学の前にあった学生向けの貧相な食堂のチキンライスにうなされるようになってしまったのである。

 船酔いに苦しんだ助手のUさんは、じつに思い切ったことをやってくれた。船で出してくれる食事がなにも喉を通らなくなったUさんは、人々が寝静まった深夜に船の冷蔵庫に忍び込んで、自分が食べられそうなものを盗み出すことを繰り返したのである。
 あったはずのトマトや果物や、そしてスモークサーモンやビスケットも減っていくのに、コックは驚いたことであろう。じつは船の冷蔵庫や冷凍庫は大きな部屋になっている。扉を中から開けるためには特別なノブを押さなければならない。Uさんが食べ物を握ったまま中で凍死しなかったことは幸いであった。

 海底地震計を開発して、世界各地の海で観測しているうちに、私の航海日数は955日になった。距離では地球を12周ほどしたことになる。
 南極に行って越冬し、そのあまり辛い経験ゆえに廃人になったという評判の地球物理学者がいる。また、米国の宇宙飛行士には神の存在に目覚める人が多いとも聞く。
 さて、船に乗りすぎた海底地震学者はなにになるのだろう。

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