今月の写真
モノを集めたがるのは人類の本能かも知れません

 米国に行くと、ごく小さい町に博物館があることが多い。大したものが集められているわけでもないのだが、集めた人から見れば、他人に見てほしいと思うに違いないものが並んでいる。もちろん、本人ではなくて、本人が亡くなったあとに遺族が寄贈したものもある。

 いや、米国には限らない。日本でも個人が集めた私設の博物館がいくつもある。

 たとえば、夕張という札幌の東方にあるかって炭鉱があった町では、「石川文化コレクション」という名の博物館があった。昭和40年代(1965-1975)に作られたという。現在は一日5本の列車が通る石勝線の鹿の谷駅前に作られ、収蔵庫6棟がある私設としては大きな博物館だった。

 右下の写真は2001年10月に撮ったもの。「歴史の年館」と大書してあり、下に「入ってびっくり 見てびっくり 日本のお宝 世界のお宝 珍しい恐竜のタマゴの数々」とある。石川さんの心意気であろう。

 これは地元選出の道議だった石川十止夫さんが集めたもので、とくに消防に興味があったのか、その方面の収集品が膨大にあった。炭鉱の資料と合わせて3万点と言われていた。だが、地元の人口も少なく、外から訪れる人はほどんといなかったが、奇妙な恐竜の巨大な模型が目を惹く私設の博物館だった。

 だが、石川さんの引退後、博物館は消滅し、収集品の一部は、近くの「石炭の歴史村」で展示されているだけになってしまった。


 札幌にも、知る人は多くはないが、膨大な収集品を集めた博物館がある。札幌市西区二十四軒にある「レトロスペース坂会館」というところだ。札幌と小樽を結ぶ幹線国道の脇にある坂栄養食品の工場の敷地内にある。三代目社長だった坂一敬館長が趣味で集めたものの私設の博物館である。ちなみに、坂栄養食品が製造販売している「しおA字フライ」は北海道では有名なビスケットである。

 ここの館内は、日用品、骨董品、ポスター、雑誌、そして、エロティックな下着や人形もある。

 右の写真にあるように、戦時中の毒ガスマスク(上段)も、軍隊の背嚢も、軍靴(下段)もある。同じ棚には昔の枕がある。ほとんど無秩序に並べられていて、棚からあふれたものは床にまで置いてある。狭い館内は、まるで迷路のように、ものでいっぱいなのである。ここでの写真は2017年5月に撮った。

 この博物館の展示物には一切の説明がない。ものだけで十分すぎるほど、いっぱいなのである。また、もののほとんどは、かつての一般家庭にあった普通のものだ。

 上の写真は、1960年代の安保闘争や大学闘争のときの雑誌類だ。意識して集めたものに違いない。ゆっくり見ていくと、『週刊朝日』の「緊急特集 安田講堂攻防戦」や『サンデー毎日』の「大学紛争から安保へ」や「潜行中の山本義隆全共闘議長に会見」や『週刊読売』の「本誌独占 秋田明大(日大全共闘の議長)獄中記」がある。いまにして思えば、週刊誌がいちばん熱かった時代だった。なお、新聞社系の週刊誌では、その後『週刊読売』はあえなく消滅した。

 そのほか、『現代の眼』の「緊急特集 学生は蜂起する」や『情況』臨時増刊の「反乱は拡大する」があり、『序章』や『構造』や創刊号の『幻視行---くたばりぞこないの唄』(秋田明大)や重信房子の短歌や『日大闘争』のCDや本なども集められている。

 じつは、そのすぐ右の棚には有名な官能小説『O嬢の物語』(原題はHistoire d'O)がいくつもある。当時の若者の関心をすべて集めたような博物館なのである。

 これらの博物館に限らず、維持は大変に違いない。職員が館長一人しか居らず、展示品に手が届く「レトロスペース坂会館」では盗難もあるという。「レトロスペース坂会館」でも、現在の経営陣と館長の間の軋轢もあって、何度も閉館の話が出ている。

 モノを集める、そして、他人に見て貰いたい、というのは、ある種の人類の本能なのかも知れない。私の大学の先輩で、古い気動車や列車の実物を集めている人がいる。模型ではない。彼のボーナスの全部はこの収集と維持に消えた。


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