当時中学生だった私がゴールを決めた、この「決定的瞬間」の写真を撮ってくださったのは、当時、附属中学でサッカーを教えて下さっていた体育の松木正忠先生である。

 松木先生は東京教育大学卒業。たしか、1956年に行われたメルボルンオリンピックのサッカー代表の候補でもあった。のちに群馬大学教授。著書に『あたらしいサッカーの授業 小・中・高等学校改訂学習指導要領準拠』 徳田有基・松木正忠・永嶋正俊の共著、東京:文化書房葉博文社、1972年発行がある。2008年現在、群馬県サッカー協会の名誉会長をしておられる

  なお、永嶋正俊さん(東京教育大学卒、日本大学教授)は、小学校で私に多大な影響を与えてくださった永島浩一先生の弟で、いわばサッカー兄弟だった。都立大泉高校の先生だった1950年代当時、日本ではきわめて珍しかった国際試合の審判をしておられた。

 撮影場所は、私たちの中学(東京教育大学附属中学)のグラウンドで、後ろに見えるのはお茶の水女子大の建物だ。 撮影時期は1955-1956年ごろである。

 私の記憶によれば、松木先生は、当時は高価なゆえ、ほとんど誰も持っていなかったコンタックスに標準レンズをつけて、私たちの写真をよく撮っていた。また、中学生や高校生にサッカーを教えるための教材用スライド(や本のための写真)を撮影するために、私たちのチームの各人がモデルになった。私は、インステップキックのモデルとして写真を撮られたのを憶えている。

 なお、インステップキックとは、ラグビーでにゴールをねらうときのように爪先で蹴るのではなく、足の甲で蹴る、もっとも強い球が蹴れるサッカー特有の蹴り方(上の写真のもの)である。

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