1-1:写真家ファン・デア・エルスケン(van
der Elsken)のカメラ、ライカM3についていたカメラストラップ
オランダの国旗の色三色を使った革と布を縫い合わせた、いかにも手作り風のストラップである。ストラップの幅はかなり広い。 (島村英紀所蔵・撮影)
私に批評できる能力はないが、夫人 Gerda van der
Veen もプロカメラマン(フォトグラファーというべきだろうか)だけのことはある。すぐれた写真だと思う。
アムステルダムの街頭で映画撮影中のエルスケン。ムービーカメラは一脚で支えている。肩から下げているのはテープレコーダー(録音機)である。 無頼や放浪といったイメージが強いエルスケンだが、このときは、とても穏やかで楽しそうに仕事をしている。
写真家の田中長徳さんに、これらの写真をお見せしたところ、「ゲルダさんの写真の腕はなかなかですね。 東京でエルスケンさんと「16ミリ映画撮影のテクニック」について
神保町の裏の喫茶店で話をしたのを想い出しました。 あれはアサヒカメラのインタビューでした。」とおっしゃっておられました。
なお、このエルスケンの写真2枚の著作権はエルスケン夫人にある。写真の裏に貼ってあった著作権票。
1-4:エルスケンのライカM3が、プロのカメラマンのカメラとしては、なぜ、ボロボロでないのか、という私の質問に対する、エルスケン夫人の答。 細江英公のすぐれた感性が表れている写真です。『エルスケン ニッポンだった』(エド・ファン・デル・エルスケン著。訳:中野恵津子、1987年12月リブロポート発行)から。
カメラを革ケースに入れて、定期的に掃除をしていた、とある。よほど大事にしていたのであろう。「彼の粗野で荒っぽい性質とは反対に」とある文章が、エルスケンの人となりをよく表している。
このライカM3で撮った(と考えられる)写真はこちら。
1-5:26歳の細江英公が撮った、ライカM3を構えた34歳のエルスケン
この本は、1959年11月から1960年02月に日本に滞在したときの写真集です。 なお、リブロポートはいい本をたくさん出した出版社でしたが、残念なことに、いまはなくなってしまいました。
エルスケンについての詳しい(英語の)紹介(オランダにあるweb、なおオランダ語の頁もあります)
島村英紀が撮っていた(昔の)カメラ(その1)へ
島村英紀が撮った海底地震計の現場
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