島村英紀が撮った「海底地震計の現場」


1-1:海底地震計の設置の準備

私たちがいま使っている海底地震計は、さまざまな試行錯誤と紆余曲折の結果、ポップアップ式海底地震計というものにした。

世界的に見ても、まだ珍しいものだから、欧州の各国に持ち込んでも、好奇心を刺激するらしい。写真はアイスランド海上保安庁の旗艦「ティールTyr」で。

(この海底地震計の外側に見える部品の機能の説明はこちらへ)

左端はアイスランド気象庁の地震火山観測部長のラグナー・ステファンソン、中央は同じく気象庁のグンナール・グドムンソン、右は「ティール」の甲板長、右奥は一等航海士である。私たちは質問ぜめにあった。

(1991年8月、アイスランド北部沖のコルベインセイ海嶺付近の海域で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズは Tamron Zoom 28-70mmf3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


2-1:海底地震計の海底への設置-1

このポップアップ式海底地震計とは、海底地震計を海水に浮くように作っておいて、それに鉄の錘(おもり=バラストともいう)を付けて海水より重くしたものを、海面に置くことで設置する。

海底地震計は自分の重さで海底まで沈んでいく。落ちていく速さは、毎秒1mほどである。つまり日本の太平洋岸沖によくある6000mの深さの海なら2時間近くかかって海底に達することになる。

もちろん、「重心」と「浮心」の関係を考えて設計してあるから、落ちていく途中で上下逆さまになることはない。 しかし、海底面が極端に傾斜していると、海底に着いたときに転倒する恐れがある。このため、海底地震計を設置する前は、深海測深儀で、海底の凹凸や地形を観察してから設置する。

この写真はフィヨルドの地下構造を研究するための地震探査で、長さ210km、つまり本州の幅くらいもある長大なフィヨルドの底に海底地震計を設置して、人工地震を行ったときのものだ。

フィヨルドは深い。目の前にフィヨルドの両側の岩の壁が迫っているところでも、深さは500mを超える。このフィヨルドのいちばん深いところは1300mを超える。

(1987年11月、ノルウェー西部のソグネフィヨルド、ノルウェーの観測船『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-1。レンズはZuiko 50mmf1.8。フィルムはコダクロームKR)


2-2:海底地震計の海底への設置-2

 北大西洋は、メキシコ湾流のおかげで、緯度の割には暖かいが、一方、湿気が多く霧が出やすい。しかし、暖かいといっても、夏の気温や水温はせいぜい数℃である。

私たちが防寒着を着ているときでも、ノルウェー人たちは、なんと半袖で作業することも多い。1万年前に氷河期が終わったとき、氷河が北へ北へと後退していくのを追いかけながら、ノルウェーの西海岸に住み着いていったノルウェー人たちは、長年の間に、寒さに対する感覚が鍛えられたのであろう。

1989年8月、ノルウェー北部沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。

(撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKL)


2-3:海底地震計の海底への設置-3

同じく、私たちの海底地震計の設置。 1995年8月、ノルウェー北部沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。

左はフェロイ船長。私が経験したかぎり、どの観測船の船長も好奇心に富んでいて、新しい実験に協力的だった。この船長も、わざわざ後甲板まで降りてきて、自分から海底地震計の設置をしてくれた。

海底地震計がどんな機械で、中はどうなっていて、どう動作するのか、この船長は十分に理解してくれた。そのせいもあって、浮いてきた海底地震計に船を寄せていく技量は、この船長が随一だった。

風と流れの方向が一致しないときには、 船と海底地震計の流れ方が違う。それを計算に入れて、先回りして船を持っていくことは、なかなかの技量を要するのである。

この船はノルウェーの国立大学が持つ観測船だが、日本の同様の船が年に半分も動かないのと違って、ほとんど一年中、動いている。これは船長も船員も二組、いるからである。日本の官庁船にはこの仕組みはなく、したがって、高い税金を使った船が、半分は港に寝ていることになる。

この船長はベルゲンの西、大西洋岸にある島に別荘を持っている。船を下りたときには、そこへ行って大きな魚を釣ったり、画を描くのが趣味である。

(撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


2-4:海底地震計の海底への設置-4

私たちの海底地震計は同じものなのに、それぞれの国の船がやってくれる海底地震計の設置にはお国ぶりがある。

1992年6月に大西洋の中央にあるアゾレス諸島近くで海底地震観測をしたときには、ポルトガル海軍の海洋観測船『アルメイダ・カルバーリョ』 に頼んだ。海洋観測船とはいえ、乗組員は軍人たちだ。

私たちの海底地震計の重さが設置時には80kg弱、ということを聞いた彼らは、ノルウェーの船とは違って、「人力」クレーンで海底地震計を持ち上げて、設置してくれた。腕に覚えのある軍人ならでは、である。

(撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)

海軍の船というと謹厳そうに聞こえるが、さすがにラテンの国、ポルトガル。アゾレス諸島には落書きを残している。


2-5:海底地震計の設置-5:ドイツの海底地震計の場合-1

しかし、世界の他の国の海底地震計が私たちの海底地震計のように小さいとは限らない。これはドイツ海洋研究所(GEOMAR)の海底地震計。

右手の旗の先から、左手でドイツ人の女性の大学院生が持っている地震計センサーまでの長さは、優に小型乗用車の長さを超える。重さも、数人の海軍兵士が手で持ち上げられる重さではない。

しかし、これほど巨大だからといって、その大きさの分だけ、海底地震計としての性能がいいわけではない、と私たちは考えている。ウィンチなどの装備がととのった海洋観測船がいつでも使えるドイツと、ときには長さ数メートルの小型の漁船しか借りられない私たちの海底地震計は、そもそも出発点が違うのである。

もちろん、ウィンチが使える大型の船とはいえ、海が荒れて船が揺れるときには、設置のためにロープで吊り上げた海底地震計は、人々をなぎ倒す凶器にもなりうる。私たちが海底地震計をなるべく小さく、軽く作ってきたのは、それなりの考えがあるのである。

(撮影機材は Nikon F100。レンズは Nikkor Zoom 28-200mm f3.5-5.6。フィルムはコダクロームKR。ノルウェー北部沖の北大西洋で。2003年6月)


2-6:海底地震計の設置-5:ドイツの海底地震計の場合-2

これもドイツ海洋研究所(GEOMAR)の海底地震計。赤い旗から架台までの高さは4m近い。ドイツ人にとっては海洋測器の大きさは、このくらいのものがごく普通なのかも知れない。

左側に突き出ている白い構造物は、海底に着底したあとに、地震計センサーを海底に投げ落とすための「滑り台」である。

海底地震計本体(このオレンジ色のブイと架台)のように巨大なものが海底に立っていると、海底を流れる海流である底層流によって、本体が揺すぶられて、壮大なノイズを出してしまう。これが地震観測の邪魔になるので、せめて地震計センサーだけを3mほど離そうという仕掛けなのである。

しかし、3mではたかが知れている。ノイズの低減もたいして計れないに違いない。全体のデザインと言い、荒れた海では取り扱いに困る大きさと仕掛けといい、私たちにとっては、それほど気の利いた機械には見えない。

(回収の時に海面で発見しやすくするための)旗が海底でも立って翻っているというのも、ノイズから見れば論外の仕掛けだ。

(撮影機材は Nikon F80。レンズは Nikkor Zoom 28-200mm f3.5-5.6。フィルムはフジS400。ノルウェー北部沖の北大西洋で。2003年6月)


3-1:海底地震計の回収:最初のステージ

ポップアップ式海底地震計は、超音波で海底にある海底地震計に「指令」を与えることで、自分で錘を外して軽くなり、自動的に海面まで浮上する。

その超音波は、船から超音波を出す、トランスデューサー(一種のスピーカー)を海中に入れて、そこから発信する。海中のノイズ(周囲雑音)のスペクトルや、超音波の波長によって違う海水中の超音波の減衰を考えて、私たちは、超音波の周波数を11-13KHzにしている。

このトランスデューサーは、同時に高感度のマイクロホンにもなっていて、海底にある海底地震計が超音波で返事をするのを聞き取って、海底地震計が正常な動作をしているかどうか、海底地震計までの距離はどのくらいか、を知ることが出来る。

この「通信」はトランスデューサーと海底地震計の距離が15kmくらいまで可能である。つまり、東京の山手線の輪の中にある海底地震計は、どれとでも通信できるくらいの性能を持っている。

(1997年5月、アイスランド北部沖の北大西洋、アイスランド海上保安庁の巡視船『オディン』で。この海域では5月には、まだ、とても寒い。手袋が手放せない。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコニカ森羅)


3-2:海底地震計の回収:「海底地震計の捜索」

ポップアップ式海底地震計が海面まで上がってくる速さは、毎秒60cmほどである。浅い海ならば早いが、深い海だと、2時間以上も待つことになる。このため、作業を急ぐときには、次に上げる予定の海底地震計や、次の次の海底地震計に「指令」を与えておいて、それらが浮いてくる前に、いまの海底地震計の回収作業を行うこともある。

海底地震計へ与える超音波の信号は、海底地震計ごとに「コード化」されていて、特定の海底地震計だけに信号を送ることが可能なのである。

海底地震計は深い海から海面まで帰ってきたときに、海流や風によって、どこに上がってくるか分からない。このため、海面のどこかに浮いている海底地震計を探す「捜索作業」が必要になる。

この作業を想定して、海底地震計は、海面に上がったときには、電波信号を出し、夜はストロボのように光り、またサーチライトに反応するように反射板も着けている。

写真はポルトガル船 『アルメイダ・カルバーリョ』で。アッパーブリッジ右側の船員が操作しているのは、手持ちの方向探知機(下の3-3を参照のこと)である。船から海底地震計への方位が分かる。

海底地震計の回収のときは、いつもこのように好天とは限らない。霧は海底地震計回収の大敵だし、波が荒いときにも、海底地震計が波間に隠れて見えにくい。南極海の海底地震観測のときには、流れてくる氷山が恐ろしかった。船にも、海底地震計にも氷山は困る。

一方、夜の捜索では、微かな光も見逃さないように、船の電灯を消す。満天の降るような星や都会ではほとんど見られない明るい銀河の許で、海底地震計を探すのはロマンチックな作業でもある。しかし、月が出ていると、海が光ってしまって、海底地震計が見つけにくい。

(撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロー ムKR)


3-3:海底地震計の回収:「海底地震計の捜索」

海底地震計の回収は、船を借りる時間を最小限にするために、昼夜通しで行う。このため、通常は「ワッチ」体制で、つまり時間ごとに担当を決めて、海底地震計の発見と回収を続けていく。

しかし、ときには「事件」が起きる。大小さまざまな事件が起きるが、海底地震計が見つからないことが最大の事件である。

このときは、全員が、船のなるべく高いところに登る。少しでも高いところの方が、遠くまで見えるからだ。そして、手分けして、右・斜め右・真正面・斜め左・左を注視しつづける。船中にある双眼鏡は総動員される。

海面上に浮いているものを探すときには、船は縦横にグリッド状に(例えば南北と東西)走り回るから、見張りのうち誰かが、一瞬でも見逃すと、あとは永久に見つからないことになることも珍しくはない。

これは1982年7月、三陸沖の海底地震観測のときだった。海面に浮いているはずの海底地震計が見えない。 このため、私たちは何時間も船を走らせながら捜索し、結局200海里も離れたところを流れていた海底地震計を発見して回収した。

200海里とは約370km、東京名古屋間よりも遠い。これは前に通った台風で持って行かれたものであった。

十勝沖から三陸沖にかけては、親潮の海域だ。夏7月とはいえ、水温は11-12℃しかなく、気温もその温度になってしまう。吹きさらしのアッパーブリッジに立ち続けることは、寒いし大変な作業である。

しかも、 この水温のために、霧が出やすく、視界を妨げる。写真に見られるように、このときも霧が出て水平線も見えず、視界が悪かった。

(撮影機材はOlympus OM-1。レンズはOlympus 50mm f1.8。フィルムはフジ・ネガカラー100)

【2020年5月に追記】これは1975年に米国西岸で行った私たちの海底地震計を使ってのゴーダ海盆での実験である。船はカタリスト号。もとは5大湖の灯台補給船だったが、それをフンボルト州立大学が買い取って船縁を嵩上げして外洋で使っていた「危ない観測船」にしたものだ。外洋の荒波には耐えられないのか私たちが乗った数年後には、凪いだ海で突然転覆して沈んでしまった。船長には大変なショックだったが、幸い死傷者は出なかった。

写真は海底地震計を皆で探しているところ。当時の海底地震計はロープ繋留式だったために、目印になる表面ブイを探すことが必要だった。

(一人おいて私の左にいる)浅田敏氏の左にいるのはカリフォルニア大学バークレイ校から来た、ジョージ・セル技官だ。生まれてはじめての仕事なのに、のみこみが早く、よく手伝ってくれた。ポルシェ912を持っているのが自慢だった。912は911と外観は同じ廉価版だったが、エンジンが(6気筒ではなくて、ポルシェ356と同じ)4気筒で軽かったので重量配分がよくて運動性能がよかった。

共同研究だったカリフォルニア大学バークレイ校の地震学のボールト(Bruce Bolt)教授は、船出の直後は「これから、世紀の大実験が始まるのだぞ」と言っていたが、船酔いで船内に伏せっている。これはこの船が5大湖用に設計されて、外洋ではまるでタライのようによく揺れたせいでもあるし、教授が陸上の地震ばかりを相手にしていて、海に出たことがないことにも起因していた。

(なお、日本から同行して乗船していた高野敬氏(東京大学理学部助手)と森谷武男氏(北海道大学理学部助手)も、船酔いで船室に伏せっていて、上部甲板に出てきていない。)


3-4:海底地震計の回収:「海底地震計の捜索」

パプアニューギニアのラバウルで海底地震観測をしたときに、私たちは海底地震計の捜索のために、手持ちの方向探知機を持ち込んだ。H型の手持ちのアンテナと、弁当箱くらいの電子回路からなる小型の機器だ。原始的に見える機器だが、海況が良いと10km以上も追いかけることが出来る。このほかに、双眼鏡なども、捜索の重要な道具になる。

ラバウルは過去200年間に7度の大噴火があったところだ。私たちは地元の火山観測所とオーストラリアの地質調査所と三国共同で海陸に地震計を展開して、地下のマグマの場所や動きを探った。

このときに海底地震計の設置や回収に借りた船は長さ12m。私たちが海底地震計のために借りた中でも、もっとも小さい方の船だった。 船が小さいと、船から遠くを見る視点が低くなって、遠くのものを見つけにくい。

しかし、海底地震計の捜索は、私たちの危惧に反して、容易だった。手伝ってくれた地元の人たちは、視力から言えば、優に4か5を超える。私の視力は1.5か2.0で、日本人としてはいいほうだろうが、彼らには全くかなわない。はるか彼方の波間に見え隠れするけし粒のように小さな海底地震計を、なんの困難もなく、見つけてくれるのである。

(撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


3-5:海底地震計の海底からの回収:最終ステージ

観測船は、浮上した海底地震計を見つけて、甲板に回収するわけである。回収するときの海底地震計の重さは空中重量で37kgほどになる。

(1988年8月、ノルウェー北西部、ロフォーテン諸島沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


3-6:海底地震計の海底からの回収:中間ステージ

ポップアップ式海底地震計が海面に浮いてきたら、船を近づけて、なにかの方法で掴まなければならない。

小型の船なら簡単だが、ちょっと大きな船や、この船のように北洋を走る船では舷側が高いので、海面上に浮いている海底地震計を「掴む」のは、ちょっとした仕事になる。

第一に大事なのは操船、つまり船の操縦である。ガラス球を浮力体に使っている海底地震計は、船がぶつかったらひとたまりもない。

手が届くところまで船を近づけるのは、航海士の腕である。私の経験では、もと漁船に乗っていた船乗りは、この種の操船がうまい。一方、航海士の学校を出たエリートの商船乗りは、下手であった。経験の違いと、ゼニを稼ぐ根性の違いなのであろう。

しかし、風の方向と海流の方向が違うときなどは、もっぱら海流で流される海底地震計に、海流と風の影響を両方受ける船を近づけるのは、それほど容易なことではない。しかも船は船首の方向を変えれば、風の影響も変わってしまう。

しかも、自動車と違って、船は低速になるほど、舵がきかなくなる。船を動かしていないと、船は海底地震計に近づけないことになる。

つまり、海底地震計を、こうして捕まえるのは「瞬間芸」なのである。一度、海底地震計を引っかけ損なったら、船を直径数百メートルの円を描いてぐるっと360°回して、同じことを繰り返さなければならない。この「ひとまわり」には、普通15分ばかりかかる。

日本の船の取り柄は、この作業に軽くて強い「孟宗竹」の竿を使えることだ。ノルウェーでは、ボートフックというむくの木の棒を使う。とてつもなく重い棒だ。

(1988年8月、ノルウェー北西部、ロフォーテン諸島沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)

もっと寒いときの海底地震計の回収の写真はこちらへ


3-7:海底地震計の海底からの回収:ゴムボート

ポップアップ式海底地震計が海面に浮いてきたとき、 小型の船なら簡単だが、ちょっと大きな船だと、海面上に浮いている海底地震計を「掴む」のは、なかなか大変だ。しかも、海底地震計の内部にはガラス球が浮力体として入っていることを船長に伝えてあるだけに、船によっては海底地震計に近づくのを敬遠することがある。

このようなときは、船からゴムボートを降ろして、そのゴムボートで回収することが、よく行われる。海が少しでも荒れると、ゴムボートの乗員はびしょ濡れになるし、結構揺れる。北の海では、もちろん、寒い。

海があまり荒れるときには、もちろんゴムボートは無理だ。しかし、かなり荒れていても、船が円弧を描き、その円弧の中では波がわずかに静まるのを利用して、綱渡りのような海底地震計の回収を行うこともある。

もちろん、こんなときには、プロである船乗りだけの仕事で、私たち科学者はボムボートに乗せてはもらえない。

1990年7月、アイスランド南西部沖のレイキャネス海嶺付近の大西洋で。船はアイスランド海上保安庁の旗艦『ティール Tyr』で。

(撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


3-8:海底地震計の回収・ポルトガル船の場合

私たちの海底地震計は同じものなのに、海底地震計の回収にも、お国ぶりがある。

1992年夏にアゾレス諸島近くで海底地震観測をしたときには、ポルトガル海軍の海洋観測船『アルメイダ・カルバーリョ』 に頼んだ。乗組員は若い軍人たちだ。人数が豊富で腕に覚えのある軍人らしい、8人がかりの回収であった。

(撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


3-9:海底地震計の回収・最近のノルウェー船の場合

世界でも屈指の漁業国であるノルウェーでは、1990年代の半ばに、魚を捕る網を改良して、私たちの海底地震計を拾う方法を発明した。

写真に見られるように、長いアルミの竿を付けた網を舷側から突き出して海底地震計を捕まえたあと、網についているロープを、クレーンで引き上げる、という手法である。

さすが漁業国というべき発明である。しかし、一方で、海面に浮上した海底地震計を発見するために使う無線発信器のアンテナが、回収作業中に折れてしまうという「事故」が多発することになった。

もちろん、回収することが第一なので、アンテナはあとで修理すればいいはずだ。荒れた海では、アンテナにかまっている余裕はない。

しかし、このような回収方法を想定していなかった私たちの無線発信器は、アンテナが一体型だったために、修理費が大変高くついた。6000m以上の水圧に耐えるために、アンテナの取付部分は、十分水密になっているからである。

それゆえ、ここから先は私たちの仕事だった。いままでと違って、アンテナが壊れることを想定して、アンテナ部分だけを取り外し式にしたのである。

(1996年5月、ノルウェー海で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズは Olympus Zuiko 21mmf3.5。フィルムはコダクロームKL)


4-1:海底地震計の設置「前」の準備・フランスでの場合

海底地震計を船に持ち込む前に、じつは、海底地震計そのものを準備する過程が必要である。

私たちの海底地震計を日本から運ぶときには、デリケートな機械なので、分解して運び、現地で組み立てる。

また、最終的には海底地震計の本体を耐圧容器であるガラス球に組み込む工程が必要だ。ガラス球は直径43cmあり、二つの半球を合わせて、ひとつの球にする。

二つのガラスの半球を合わせる端面には、ゴムやパッキンなど、なにも挟まない。精密な加工がされているガラスの面同士を合わせることで水密になる。

この二つの半球を合わせるのは緊張する一瞬である。 もちろんガラスだから、ぶつけたら欠けてしまって使い物にならなってしまう。また端面は、ゴミや指紋が付かないよう、この作業の直前に薬品で洗ってあるから、端面に指をかけるわけにはいかないからである。

左はバンサン・ルナール、右はフェリックス・アベディック。ともに高名なフランスの海洋地球物理学者である。とても熱心に手伝ってくれた。 バンサン・ルナールと私とは、深海潜水艇ノーティール号の設計時以来のつきあいである。

(1994年8月、フランスの大西洋岸の町・ブレストのフランス国立海洋研究所で。研究所は大西洋を見下ろす景勝の地にある。撮影機材はOlympus OM-2N。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコニカ impresa 50)


4-2:海底地震計の設置「前」の準備・フランスでの場合

合わせるときに、少しでも前後左右にずれると、深海底のすさまじい水圧で、ガラス球の縁が破損することがある。このため、細心の注意を払って、球を二つ合わせる作業が行われる。最初はもちろん私たち日本人が教えるが、しだいに、彼らも慣れてきている。

上下の半球が正確に合っているかどうか、爪で触ってみるのがもっとも敏感な方法である。たとえ1/10mmずれていても、爪で感知することが出来るからである。

(1994年8月、フランスの大西洋岸の町・ブレストのフランス国立海洋研究所で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームPKL)


4-3:海底地震計の設置「前」の準備・フランスでの場合

ガラス球の二つの半球を合わせたあと、ガラスの内部の空気を真空ポンプで抜き、二つの半球が強く密着するようにする。

ガラス球は深海に行くほど、強い圧力を受ける。たとえば6000mの海では3000トンもの圧力がかかる。しかし、浅い海ではそれほどの圧力はないので、せっかく正確に合わせた半球がずれてしまって、そこから水が侵入する恐れがある。

このため、接合面の外側に、生ゴムのテープを貼り、さらに幅広のビニールテープを強く巻き付ける。これらのテープは、正確に接合面に沿わせなければならない。

この作業が終わると、ガラス球全体に金属のバンドを掛けて固定し、その全体を後ろに見えている黄色いプラスチックに入れる。このプラスチックは、船体にぶつかったり、輸送のときの保護用でもあり、また、回収時に海上で見つけやすくする役割も持っている。

(1994年8月、フランスの大西洋岸の町・ブレストのフランス国立海洋研究所で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームPKL)


4-4:海底地震計の設置「直前」の準備・北極圏の北大西洋の場合

上のような準備を終わったあと、いよいよ海底に設置することになる。

しかし、海底地震計は、じつは宇宙ロケットのような信頼性を必要とする。いったん私たちの手を離れて海底に沈んで行ったが最後、もし、どこかに不具合があっても、もう手を出すことは出来ない。たった一カ所の不具合で、海底地震計は海底から帰ってこないかも知れないし、あるいは、帰ってきたとしても、正常な記録を取っていないかも知れない。

もし、こんなことが起きたら、私たちにとっては大変な痛手になる。それぞれの観測を準備するために、ふつうは何年もの準備を必要としている。失敗したからといって、もう一度、というわけにはいかないのである。日本から北大西洋まで来て、人生の無駄を味わうことにもなりかねない。

このため、海底地震計を海底に設置する直前に、もう一度、入念な点検を行う。もし、これで不具合が出れば、その場所で船を待たせるなり、予備機と差し替えなければならない。

(1999年6月、アイスランド北方沖のコルベインセイ海嶺付近の北極圏の北大西洋で。撮影機材は Nikon F100。レンズはTokina 19-35mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


4-5:海底地震計の設置「直前」の準備・トルコのマルマラ海の場合

海底地震計を海底に設置する直前に行う入念な点検は責任が重い作業だ。どんな小さなミスも許されない。いままでの手痛い失敗を思い出しながらの、ある意味では、自分と向き合う、孤独な作業でもある。

しかり、トルコの船では勝手が違った。船齢59年という老齢の船のせいもあって、この船には驚くほど多くの船員が乗っていて、コックも4人いる。その多くが、作業をいつも見続けてくれていたのである。

この海底地震観測についての説明は

(2001年7月。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


5-1:深海底のすさまじい水圧

海中深く潜るにつれて、水圧が高まっていく。10m毎に1気圧、6000mの海底では600気圧になる。これは1平方センチの大きさのところに600kgもの重さが載ったのと同じ力になる。爪の大きさのところに1トンのものが載ることになる。

このため、上の写真のガラス球にも、600mの海底では、3000トンもの力がかかる。これは、一機297トンある国内線に飛んでいるB747ジャンボ機が11機分の重さになる。

このため、海底地震計とその部品類は、すべて、この強大な圧力に耐えるように作ってある。

しかし、一方で海底地震計は自分の力で浮いてくるようにするためには、むやみに重くするわけにはいかない。十分丈夫に、しかし軽く、というぎりぎりの設計が要点になる。

写真は海底地震計に取り付けてあるトランスポンダーの耐圧容器。チタンという強くて軽い金属で作った円筒型の容器だ。筒の内径は5cm、外径は6cmある。つまり肉厚が5mmもある筒だった。しかし、設計上6000mに耐えるはずの耐圧容器は、あえなく、5500mの海底でぺしゃんこに潰れてしまった。当時は純チタンを使っていたが、この事故以来、もっと強いチタン(合金チタン)にしてある。

それでも幸運だったことは、ガラス球は潰れなかったことと、このトランスポンダーの耐圧容器に入っていた電気回路が入ってきた海水でショートして、海底地震計を浮上させる信号を、たまたま、出してくれたことだ。

これらの幸運から、海底地震計は私たちが知らない間に浮上し、観測海域からはるかに離れた沖縄・石垣島に流れ着いた。私は海底地震計を回収できたし、トランスポンダーの耐圧容器が弱いということも、この事故から分かった。そうでなければ、私たちは同じ失敗を繰り返していたに違いない。

(1997年3月、石垣島で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR。横に置いてあるレンズキャップの直径は約54mmだ。)


6-1:人工地震のかなめ、エアガン-1

海底地震計の設置が終わると、地下構造を探るための人工地震を行う。昔は、陸上でも海でも、火薬をよく使ったが、近頃は、圧搾空気を使うエアガンを人工震源に使うのが普通だ。

エアガンそのものは、海底での石油探査や、海底下の地球物理学研究のために使われてきた。しかし、海底地震計と組み合わせることによって、海底下の地下構造を、それまでよりはるかに精密に、しかも海底下40-60kmといった深度まで研究することが出来ることが分かったのは、私たちが成功して以来のことである。

エアガンは、その名の通り、空気の大砲だ。大小さまざまな大きさのものがあり、それらを組み合わせて使うことも多い。多いときは、10台以上のエアガンを海中に吊し、船が曳航しながら人工地震を行う。

エアガンの整備や実験は、腕力もいるし、危険も伴うので、プロの仕事である。ノルウェーの観測船の場合は、大学で強力な技官のチームを擁していて、彼らがすべての作業を、どんな海峡の許でも、安全に、要領よくこなしている。

写真の技官はベルゲン大学のF. Veim技官。この道30年のベテランである。

なお、後ろに見える大きなドラムは、反射法地震探査を行うときの地震波の受信器である、ハイドロホン・ストリーマーである。長さ2-4kmにも及ぶこのストリーマーをエアガンと同時に船から曳航して行う探査をマルチチャンネル地震探査といい、石油探査の基本的な技術である。

この反射法地震探査では海面下0-2kmくらいの浅い地下構造を精密に探ることができるので、地球物理学の研究にも広く使われている。

(1988年8月、ノルウェー北西部、ロフォーテン諸島沖の北大西洋、『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズはTamron Zoom 28-70mm f3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


6-2:人工地震のかなめ、エアガン-2

これは比較的大型の、容量20リットルのエアガン。手がかじかむほどの寒さでも、分解や整備などは手袋を外して素手で行わなければならない、デリケートな機械である。

写真左側の二人がベルゲン大学の技官、右の二人は観測船の船員である。エアガンそのものの準備や調整や修理は、すべて技官たちが行う。

ノルウェーの大学の悩みは、良い技官たちが、高給で石油産業に引き抜かれてしまうことだ。 エアガンは石油探査にとってもカギの技術である。国立大学で支払える給料は限られているから、有能な技官たちほど、早く去ってしまう。

(1987年11月、ノルウェー西部のソグネフィヨルド、『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-1。レンズはZuiko 50mmf1.8。フィルムはコダクロームKR)


6-3:人工地震のかなめ、エアガン-3

整備や修理が終わったエアガンはクレーンで吊って、海中に下ろす。エアガンは海面から10-15mの深さで海中を曳航する。写真に見える茶色い錘(上の2-2にも写っている)は、エアガンを一定の深さに沈めるためのものである。

海が荒れたときにも、実験を中断するわけにはいかない。吊り上げた重いエアガンは、船が揺れるときには凶器になりうる。

なお、エアガンは水中に棲む魚や動物に対する影響は、ほとんどない。

(1987年11月、ノルウェー西部のソグネフィヨルド、『ホーコンモスビー』で。撮影機材はOlympus OM-1。レンズはZuiko 50mmf1.8。フィルムはコダクロームKR)


7-1:海底地震計が拾ってきたもの

上がってきた海底地震計を見て、皆が目を剥いた。ソフトボールよりも大きな魚の卵塊が二個も着いてきたからであった。タマゴの一個一個はイクラを少し大きくした大きさだが、それが大きな丸い塊になって、海底地震計に着いているロープにしっかり巻き付いていたのである。イクラと違って色は白色で、半透明のものだ。皮はイクラよりもはるかに固くて、船の甲板に落とすと、高く跳ね上がった。

 海底地震計が沈んでいったり浮き上がってくるときの速さは毎秒1mもあるから、その移動中に卵を産み付けたとは思えない。この海底地震計を置いた水深2600mの深海の海底に住む魚の仕業であろう。もちろん、いずれ浮き上がるものと知って産み付けたはずはない。

 私たちはこれが何の卵か知らない。私たちと同行していた、以前は漁船に乗っていた船乗りたちも知らなかった。

 日本各地には、八百比丘尼伝説というものがあり、人魚を食べた海女が八百年も長生きしたと言い伝えられている。気味悪がらないで、私たちも食べてみたらよかったのだろうか。

このエッセイの全文は

このときの地震観測のトピックスは

(2000年9月、十勝沖の千島海溝付近で。撮影機材はNikon F100。レンズは Micro Nikkor 60mm f2.8。フィルムはコダクロームKR)


7-2:海底にある海底地震計に群がるタラ

ノルウェー北部からスピッツベルゲンにかけて拡がる北極海の海であるバレンツ海は、水深が200mよりも浅くて、平坦な海底が拡がっている。ここはタラの好漁場で、多くの国から漁船が集まってくるところだ。

これは私たちが乗った観測船の魚群探知機の記録。水深160mの海底から、三角形に盛り上がった、高さ20-30mの「山」 が写っている。

これは、私たちが平坦な海底に設置した海底地震計の上に、群れ集まったタラの大群なのである。魚は全く平らな海底は好まない。魚礁というのは海底の凸凹の岩であることが多いし、人工漁礁も、平らな海底に、魚が安心して群れ集まれる凸凹を作るものだ。

タラたちは、いままで見たこともない海底地震計でも、とりあえずの「拠り所」としては 十分であったのだろう。何百匹という群が、円錐型に集まって、ひとつの海底地震計にかぶさることになった。円錐の底辺は50-60mであった。

この辺のタラは大きい。1.5mほどのものは普通である。タラがじっとしてくれていればいいのだが、動いたり、海底地震計を突っついたりしてくれると、私たちの海底地震観測の邪魔になってしまう。私たちにとっては思わざる「観測の敵」なのである。

そしてもちろん、タラを捕りに集まってくる各国のトロール漁船は私たちにとって、もっと厄介な「観測の敵」なのである。トロール漁法は、海底にあるものを根こそぎさらっていく漁法だから、もし網を引かれたら、私たちの海底地震計はひとたまりもない。

このため、私たちは、トロール船が海底のどこをどう網を引くかを読みながら、網を引く可能性の低いところを狙って設置するのである。バレンツ海も、平らといっても、わずかな起伏があり、定常的な海流の向きと、この起伏によって、トロールの網を引く向きが決まる。たとえば、具体的にいえば、海流に逆らい、登り勾配で網を引くのが、もっとも魚が捕れる漁法なのである。

いままで私たちの海底地震計は、海面まで浮上したものが見つけられなかったり、上の5-1のように、思わざるときに浮上してしまったりして、あとから陸に流れ着いたり、漂流しているものを漁船に拾ってもらったりしたことが何回かある。

このため、私たちの海底地震計には、英語のほか、ノルウェー語やアイスランド語や、ときにはギリシャ語やトルコ語やイラン語やロシア語で、(浮遊機雷のような危険なものではなくて)海底地震計であることと、地元の連絡先を記してある。しかし、浮いて流れている海底地震計は、見つけたら私たちに知らせてくれることが多いのに、トロールのような網にかかった海底地震計を知らせてもらったことはない。漁業者にとって後ろめたいところがあるせいであろう。

(1998年8月、ノルウェー北方沖のバレンツ海で。撮影機材はOlympus OM-4。レンズは Zuiko 50mm f1.4。フィルムはコニカ L200)


7-3:海底地震計の「懸賞金」

もし、海底地震計をなくしたら、それは(下の文章にあるように)機器の損失にはとどまらない。このため、どの海底地震学者も、必死に海底地震計を捜索する。万が一、知らない間に浮いてきて流れているとしたら、誰かに見つけてもらう、というのが「最後の望み」である。

これはドイツの海底地震計の「懸賞金」。海底地震計を設置するときに張り付ける紙である。皆さんがもし大西洋に行ったら、周りを見回していたほうがいいかも知れない。うまくいけば500ドルを入手したうえ、地球物理学者に大いに感謝されることになる。

【以下は島村英紀『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』からの引用】

 もちろん、たいへんな損失だ。

 失った機械。得られなかったデータ。無駄になった観測のチャンス。無にしてしまった船の人たちの努力と好意。無為に過ごした私たちの人生。どれも痛い。

 しかし、それ以上につらいことがあった。

 なぜ帰ってこなかったのか、こんどはどうしたら良いのか、それを学ぶことが出来ないことだった。なくしてしまったときには、「犯人」を辿れる証拠が、なにも残されていないのだ。

 実験室であつかう機械や、陸上に置く機械ならば、うまく動作しなかったら、どこが悪いのか、その状態を見てやって、直せばすむ。

 しかし、海底地震計ではそうはいかない。

 十分慎重に考えたり、実験を繰り返したりしたつもりではあった。しかし、私たちの海底地震計に何が起こったのか、もう知る手段はない。

 深海ブイが水圧で潰れてしまったのだろうか。なにせ、まわりの水圧は、6000メートルの海では1平方センチ当たり600キログラム、人間の爪の大きさのところに1トンもの水圧がかかっている深海だ。

 タイマーがうまく働かなかったのだろうか。それともタイマーを入れている耐圧容器に水が入ってしまったのだろうか。

 ワイヤーカッターが働かなかったのかしら。

 疑問は、いくらでも湧く。すべてが心配になる。

 しかし、そのどれかを特定することが出来ない限り、次の実験に自信を持って当たることは出来ない。

 つまり、一種のスランプの状態だった。

 かといって、いままで積み上げてきた私たちの海底地震計の実績をほごにするのは、しゃくだった。

 外国のポップアップ式海底地震計なみのものならば、いつでもできる。しかし、なんとしても私たちのロープ係留式海底地震計なみの性能をもったポップアップ式海底地震計を作らねばならなかった。追われる立場は、つらいものだ。

 スランプから抜け出すための最善の方法は、精神衛生を良くすることにつきる。

 私たちの海底地震計は見えないところでの事件だけに、そもそも、精神衛生的には良くない。

 少しでも心配なことを、ひとつずつ減らすことから、私たちの立ち直りを計るしかなかった。


(撮影機材は Nikon F80。レンズは Nikkor Zoom 28-200mm f3.5-5.6。フィルムはフジS400。ノルウェー北部沖の北大西洋で。2003年6月)


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これらの海底地震観測全般の結果の概要はこちらへ(1.75MBあるpdfファイルです。大きいのでご注意ください。またミラーサーバーによってはpdfファイルが読めないものもあります。いまはなくなってしまった朝日新聞社の科学雑誌『サイアス』の最終号2000年12月号に書いたものです。)

アイスランドでの海底地震観測の解説はこちらへ(Inter Ridge という国際研究計画の日本支部が出したInter Ridge Japan のニュースレター、第6号<1997年3月>に載せたもの。

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このほかのノルウェーでの海底地震観測の解説
はこちらへ(1.59MBあるpdfファイルです。大きいのでご注意ください。またミラーサーバーによってはpdfファイルが読めないものもあります。いまはなくなってしまった朝日新聞社の科学雑誌『科学朝日』の1988年3月号に書いたものです。)

悪妻をもらうと哲学者になれるなら:海底地震学者は「哲学者」になれる

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