今月の写真
タイ・プーケット島で。アイヌと海洋先住民族モーケンがお互いの食事を初めて作りました

(アイヌ料理をモーケン族の女性(右)といっしょに作る、北海道・様似アイヌの熊谷カネさん(左)。この料理はアイヌの伝統的な料理で「イモシト」である。原料はジャガイモ。夏には、食べる分のほか保存分も収穫する。この保存分のイモは、冬の間は外で凍らせておく。春になると、冬に凍ってふにゃふにゃになったイモを拾い、皮を剥いて水につけて、水の底に澱粉がたまるまで2日ほど待ち、上澄みを捨てて、でんぷん(澱粉)をドーナツ形にする。それを天日干しにして固めて保存食として保存する。食べるときは1時間ほど水に浸して柔らかくして、写真のように丸い形にして、フライパンで油で焼いてイモシトを作る)

 2009年5月、タイ南部にあるタイで最大の島、プーケット島で、「The 2nd International Conference on Disaster Preparedness for Persons with Disabilities」という国際会議が開かれた(註)。会議はDAISY(デイジー) Consortium(会長は日本人の河村宏氏)やAssistive Technology Development Organization (ATDO)などの国際組織の主催で、タイ側では全盲の Monthian Buntan(ブンタン)上院議員(Chairman of Phuket Initiative Conference, Thailand Association of the Blind)がホストであった。

 タイの西岸沖にあって、アンダマン海に浮かぶプーケット島は2004年12月26日のスマトラ沖地震で津波の大被害を受けた。タイ全土で6000人近い死者のうち、かなりは、タイ南部にあって海岸沿いにリゾート地が広がっているこの島で犠牲になった人たちであった。多くの、外国から来た観光客も犠牲になった。スマトラ沖地震では、遠くアフリカ沿岸まで津波の被害が及び、インド洋沿岸の各国で23万人以上が犠牲になった。

 なお、プーケット島はタイで最大の島で面積は約540平方キロある。 ほぼ、淡路島と同じ大きさだ。

 2004年当時は、津波が来ることを警報する仕組みもなく、また、地震が起きない欧州各国から来た観光客にとっても、津波は、不意打ちであった。太陽に飢えている北ヨーロッパの人たちにとってみれば、ここは南海の楽園そのものだった。

 このアンダマン海の沿岸(現在の国名ではタイ、マレーシア)には、先住民族としてモーケン族が各地に住んでいる。彼らは「海のジプシー」、あるいは「海の遊牧民」と呼ばれる海洋民族で、海岸に住み、おもに漁業を営んでいる。

  アンダマン海の沿岸、つまりいまの国でいえばタイ、インドネシア、ビルマの沿岸に最初に住み着いた民族だといわれている。

  しかし、どこから来たか、その起源はわかっていない。もともとは、それぞれの小舟に(多くの場合三世代の)一家が乗った小舟の集団で、あちこちの海を渡り歩く生活をしていたが、いまは、ごく一部を除いて、各地の海岸に定住するようになっている。そして、いまでは、最後の海の民といわれる。

  私たちが訪問したのは、プーケット島の南端、Rawai(ラワイ)にあるモーケン族の集落だった。ここには245戸の家があり、1200名のモーケン族が住んでいる(2009年5月現在)。

 このRawaiのモーケンの人たちは、この大津波で一人も犠牲者を出さなかった。地震の当日、大津波が襲ってくる20分ほど前に海の異変を知った。地震が起きたのは現地時間で朝7時45分だった。

  潮の満ち干は、海洋民族である彼らの頭に精密に入っているが、それ以上に潮が引いたのである。

 先祖からの言い伝えどおり、津波が襲ってくる、と直感した彼らは、ただちに集落の全員を、村の後ろにある高台に避難させたのだった。245戸の集落の全員、1200人のうち、障害がある人が20人、うち全盲の人が2人いたという。

 そして、一人の被害者も出さなかった。しかし、そのときに、プーケット島をはじめ、インド洋沿岸では、たいへんな悲劇が起きていたのであった。

 私たち地震学者の知識では津波の初動は、引き波とは限らない。いきなり満ち波として襲ってくる津波もあるし、場合によっては第二波以降の津波の方が大きいことも多い。

 しかし、日本もそうだが、海洋プレートと大陸プレートが押し合っている海溝沿いに起きる巨大地震は、多くの場合、同じような震源メカニズムで起きる。それゆえ、同じ場所で何百年も見ていれば、同じような津波の初動が何度も観測されても不思議ではない。モーケンの人たちは、この経験を伝承していたのであろう。

 この会議に参加した主要な各国のメンバーがRawaiのモーケン族を訪れた。DAISY の河村宏会長や、上記のタイのブンタン上院議員などのほか、北海道在住のアイヌ(女性二人)も、初めてタイの先住民族であるモーケン族と交流するために訪れた。

 モーケン族の集落では、アイヌの生活や踊りや料理がプロジェクターで投影されたほか、アイヌの人たちが実際にアイヌの料理を作り、一方、モーケンの人たちが自分たちの料理を作って、おたがいに食べてみる、という交流も行われた。ふたつの先住民族の、はじめての交流であった。

 モーケンの料理としては、近くで取れる大きな(30センチもある)アジをニンニクと油で揚げたものや、イカスミをまぶしたイカの料理、シラウオのような小さな魚を地元の香辛料で味付けした料理などであった。

 なお、このアジは地元の人たちがやっている沿岸漁業のおもな収入源である。このほか、イカや、ロブスターも獲れる。

  網ではなく、船から垂らした釣り糸に、それぞれ5本ほどの釣り針をつけて釣り上げている。漁船は、2,3人乗りの、屋根のない小型の木製の小型船である。竜骨(りゅうこつ、:Keel)が前部に長く突き出した、特有の形をした船だ。

 また、モーケン族の民族音楽や踊りも披露された。

 モーケン族はタイ語とは違う独自の言葉を持っており、私たちは英語>タイ語>モーケンの言葉という、それぞれの通訳を通して、話を聞いた(アイヌの人たちは日本語>英語>タイ語>モーケンの言葉という翻訳であった)。しかし、マレー語を話せる、インドネシアからの会議の参加者は、意外なことにマレー語がほとんど通じるのに驚いていた。

 また、そのインドネシアからの会議の参加者は、上の写真で料理を作っている右の女性は、典型的なニアス島の人たちの顔つきだという。ニアス島はインドネシア領で、スマトラ島から140km西方に浮かぶ北スマトラ州で最大の島で、人口は70万人もいる。



(写真は民族舞踊に見入る子供たち。中央の男の子は右の老人の孫だろうか。とてもよく似ている)


(写真はくったくのない笑顔を見せるモーケンの子供)

 しかし、ここのモーケン族の暮らしは貧しい。漁業と、貝細工など、観光客のための細々とした土産、沖合の島に観光客を乗せていく通船の収入などが収入源だが、現金収入は少ない。

 砂地に立つ家も、写真に一部見られるように、壁の一部にコンクリートブロックをむき出しのまま積んだり、細い木の柱にトタン板を張っただけのごく質素なものだ。住宅は密集して建っており、住宅地の中の道のほどんどは、オートバイでさえ通れないくらいの細い道である。

 じつは、この土地はモーケン族のものではない。いわば”不法占拠”している形になっている。これは、近年まで、タイではモーケン族が土地を所有することや義務教育を受けることができなかったことが影響している。

  土地が自分たちのものではないため、電気や水道も引いてもらえるわけではない。たとえば電気は集落の外のタイ人の個人宅から電線を引いてそれを各戸に分配し、電力会社ではなく、その家に電気代を支払っている。

 水は天水(雨水)と、井戸水を使っているが、井戸水は煮沸しないと飲み水には使えない。

 このような貧乏と医療の不足から、2004年の津波から避難できた障害がある人
20人のうち、歩行に障害がある人2人が、地震のあと2年以内になくなってしまったという。また、健常人でも、病気になったり、足が悪くなった人たちの余命は短い。

(同行したべてるの家の加藤木祥子さんが描いた似顔絵を喜ぶ子供。加藤木さんは子供たちのたいへんな人気者になった)

 子供たちは1kmほど離れた公立小学校に通っていて、タイの場合、義務教育(6年だったが、近年9年間になった)は無料だ。集落の顔役である中年の女性は、自分の名前が書けなかったが、子供たちは識字率が上がるだろう。

  一方、医療面では近くに小さな診療所はあるが、診断と簡単な治療しかできない。このため病気や怪我のときは遠くの病院に行かなければならないことも多い。

 なお、プーケット島のモーケン族は、ここRawaiのほか、東海岸の沖にあるが橋で渡れるSi-ray(シレイ)島にも”分家”がある。

 以前、この Rawai から分かれて移住した人たちだが、プーケット島の首府機能を持つ、東海岸にあるプーケットタウンに近いという理由でそちらの人口が増え、いまでは300軒以上になっている。

 また、プーケット島以外にも、タイやマレーシアやビルマのアンダマン海の各地の海岸に住んでいる。

(モーケンの人たちの家は砂の上に建っている。家の前の砂の上でビー玉で遊ぶ少女)


(写真はいずれも2009年5月、タイ南部のプーケット島にて撮影)

t註1) 会議の主要メンバーとしては、河村宏氏、ブンタン氏のほか、いずれも全盲のDipendra Manocha(インド)、Vashkar Vattacharya(バングラデシュ)、Shakila Maharaj (南アフリカ)など、障害者の支援に指導的な役割を果たしている人たち、Bhichit Rattakul(バンコックにある Asian Disaster Preparedness Center 事務局長、前バンコック市長)などが参加した。

註2) その国際会議で、私は、依頼されてkeynote lecture(基調講演)を行った。題は「How Tsunamis are generated, propagated and amplified?  How should we prepare?」であった。私が研究してきた海底地震の起きかたや起きる理由から、津波の発生や伝播、その備えについて述べたものであった。

註3) DAISYとは、視覚障害者や普通の印刷物を読むことが困難な人々のためにディジタル電子図書の国際標準規格である新しい情報システムのことだ。約40ヵ国の会員団体で構成するコンソーシアムによって開発と維持が行なわれている。かつてのカセット録音に代わるもので、パソコン上で映像、音声、文字が統合されて、いろいろな障害のある人や特有の言語を使っている先住民族の人たちにも理解できる無料のデジタルシステムとして普及が進んでいる。

河村宏氏による会議の報告はこちら
島村英紀が朝日新聞に寄稿した記事はこちら

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