島村英紀『東京大学新聞研究所同窓会報』 第12号(2016年3月号)巻頭言。1頁。{1500字}

自然科学とジャーナリズム

 私は東大新聞研の同窓会のなかでも、いちばん変わったところに来た卒業生だろう。だが、じつはジャーナリズムから意外に近いところに身を置くことになったのかも知れない。

 私は科学者。専攻は地震学。地球物理学に含まれる学問のひとつであり、火山学とも兄弟分だ。学問の中には、数学や天文学のように社会とは関わりがない分野も多いが、地震学や火山学は社会との関連が深く、また人々の関心も高い分野である。

 私がこの分野に飛び込んだ動機のひとつは、あわよくば地震予知や噴火予知に成功して災害をなんとか軽減したいということだった。

 だが、残念ながら、地震予知も噴火予知も、思ったよりも進まなかった。ゴムひもを引っぱっていって、いつ、どこが切れるかという物理学は地震予知の物理学と似ている。これはふつうの物理学では手が出ない。とてもむつかしい対象だ。

 もちろん、学問はある程度は進んだ。地震や噴火が「演劇」だとすると、どういう舞台に役者が出演するのか、ということはかなり分かってきたのだが、いつ、どんな形で「役者」が出てくるのかは、まだまだ、正確にはわからない。

 一方、地震予知も噴火予知も世間の期待は大きい。それを学者も、それを「利用」してきた。

 たとえば地震予知研究は各省庁の研究機関が別々に予算申請する仕組みだった。財務省が次年度の予算査定の季節、つまり毎年夏から秋にかけて、各省庁の機関では地震予知研究の成果の「大本営発表」が目立った。予算配分への影響を狙ってのことだ。

 地震予知成功の発表は各省庁にある記者クラブで発表され、これらの宣伝は、メディアに乗って全国に流れた。旧ソ連や中国でうまくいったと報じられた手法を取り入れて、日本でも同じような前兆が捉えられたという、いまから見れば怪しげな結果も、堂々と各官庁から発表されていた。

 かくて、新聞もテレビも「地震の前に起きた現象をひとつ見つけただけの」前兆(かもしれないもの)の報告を「地震予知の成功」とセンセーショナルに報道した。科学者を「増長」させた一因はメディアにもあったというべきであろう。地震予知だけではない。新薬や病気の新しい治療法の発表など、国民を人質に取った科学の報道は、針小棒大になりがちである。

 一般の人々は「なるほど、前兆はこんなに捉えられているのか、それでは地震予知技術の完成は近いな」と思いこまされた。

 こうして地震予知が出来ることを前提にした世界唯一の地震立法である大震法(大規模地震対策特別措置法)は1978年に作られた。その後、地震予知は難しくなったことが学問的に明らかになったのに、法律だけは生きている。

 私たち地震学者から見て不満だったのは、本来メディアの命であるはずのチェック機構が地震予知研究には働かなかったことだ。

 メディアにも事情があったのだろう。裏をとろうにも、評価できるのは同じ学会に属する科学者仲間しかいない。それゆえ客観的で厳しい評価にはなりにくい。

 他方、科学者の側にも事情がある。他人の研究に厳しい評価をしたことが報じられたり、報じられなくてもいずれ知れわたると、将来の昇進や研究費の配分にも響きかねないのが科学者の世界なのである。

 もちろん、これは科学者やメディアだけの問題ではない。地震予知だけの問題でもない。科学をめぐるメディアと科学者の問題は根が深いのである。

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