『花時計』(読売新聞・道内社会面)、1993年7月6日夕刊〔No.19〕

「天国」を去る助教授

 私の研究室にいる客員助教授のロシア人が、宅配便を受け取って、しきりに感心している。研究に必要な機械を東京の大学から送ってもらったのが、翌日に着いたからである。

 ロシアだったら、こんなことはけっしてない。郵便はなくなったり、遅れたり、さんざんなものだ、という。キャッシュカード。パソコン。私たちにとっては何でもないことが、彼にとっては、いちいち感嘆のもとなのである。

 さて彼の滞在期限も今月末までになった。このコラムで大きなジョギング・シューズのことを書いたら、江別の主婦の方やSデパートから靴を頂いたり、外国人には700円、という奉仕をしてくれる床屋さんと懇意になるなど、日本人の好意に囲まれている彼には、帰国したら全然別の生活が待っていることになる。

 彼が不在の間に、彼がいた国立研究所は三つに分裂した。それだけではない。帰っても、研究費はまったくないのだという。国中の経済が混乱しているときに、科学のために金を出す余裕はないのだろう。

 その彼が、先日上京の折りに、夫人を連れてディズニーランドへ行ってきた。遊園地だけで、帰国後に彼が貰える年俸よりも高い散財である。

 同じものがパリにもあるから、モスクワからはそちらの方が近いよ、という私の言葉に、夫人同伴で「西側」へ遊びに来ることなど、もう二度とないだろうから、とポツンと言う。

 短かかったに違いない一年間の龍宮城の思い出を胸に、彼は間もなく現実の巷へ引き戻されるのである。

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