今月の写真
人間が住処を変えてしまった蝶:ツマグロヒョウモン


私が33年間にわたった札幌での生活から東京練馬区に帰ってきて、驚いたことのひとつは、この蝶だ。昔は関東地方にはいなかった、西南日本の蝶が、わがもの顔で飛び回っていたのである。

この蝶はツマグロヒョウモン。漢字で書けば「褄黒豹紋」だ。学名は”Argyreus hyperbius”、分類はチョウ目・タテハチョウ科・ヒョウモンチョウ属である。「ツマグロ」とは、写真のように、後ろの羽の縁が黒いことから名付けられている。蝶の大きさを表す「前翅長」は38〜45mmほどの中型の蝶だ。

日本では南西諸島と九州と四国、それに本州では南西部だけに住んでいた蝶だ。世界的には熱帯や温帯域に広く分布する蝶で、アフリカ北東部からインド、インドシナ半島、中国、朝鮮半島、日本、それにオーストラリアに住んでいる。

じつは他のヒョウモンチョウ類は、もっぱら温帯から寒帯にかけて、それに気温が低い山地に住んでいるのが普通なのだが、このツマグロヒョウモンだけは、暖かいところを好むヒョウモン蝶なのである。

この蝶の住処の北限が、人間のせいで、本州をどんどん北上しているのだ。

本州では1980年代までは、近畿地方以西でしか見られなかった。

しかし、しだいに生息域が北上し、1990年代以降には東海地方から関東地方南部、そして富山県や新潟県の温暖な平野部でも見られるようになった。さらに2006年には北関東でもほぼ定着したといわれている。

じつは、この蝶の北限の北上を助けたのは温暖化だけではない。この蝶の幼虫は、もともとは各種のスミレ類を食草としていた。しかし、人間が植えて、どんどん増えているパンジー(三色菫)やビオラ(パンジーより小型の花を咲かせる。花の直径が3〜5cm以上のものをパンジー、それより小さいものをビオラという区別をすることもある)など、園芸用の花も食べる。


つまり、この蝶にとっては、野生のスミレを探さなくても、食草がどこにも豊富にあるという状況になったのである。

それだけではない。この蝶は4月ごろから11月ごろまでの間に4〜5回も生まれる。これは他のヒョウモンチョウ類にはないたくましさなのだ。それゆえ、他のヒョウモンチョウはほとんど年1回しか発生しないのに対し、環境さえ整えば、圧倒的にたくさん増える素地を持っていたのであった。なお冬になると成虫は死に、幼虫や蛹が越冬する。

この蝶は雄と雌で、羽の模様がかなり違う。いちばん上の写真と右下とさらに下の写真はメス、すぐ上と右(2015年8月に撮影して追加の写真)はオスだ。 つまり、動物界には珍しく、メスのほうがあでやかで美しい。とくにメスの羽の縁は見事なものだ。

そして、メスの模様も、おたがいに美しさを競うように、よく見ると模様の違うものがいろいろある。げんに、これらの写真でも、微妙に違っている。また、右下の写真(2014年9月に撮影して追加)のように、羽の裏もとてもおしゃれな色使いと模様なのである。

ところで、このメスの派手な模様には、なぜ出来たかという説がある。しかし、この説が当てはまるのかどうかは、いまだに進化の過程のナゾなのだ。

その説とは、このメスの羽の模様はカバマダラに似せた擬態だというものだ。たしかに、よく似ている。カバマダラは有毒のチョウで、蝶を捕って食べる捕食者に警戒させよう、という説だった。

カバマダラの幼虫は、トウワタという植物を食草にしている。しかし、この植物は有毒成分を含むので、カバマダラが成虫になっても、身体にその成分が残っている。それゆえ、本来の天敵である鳥などの捕食者に食べられることはない。いや、正確に言えば、最初に誰かが食べられることによって捕食者に「学習」をさせて、以後、仲間を救うのである。

カバマダラの幼虫が毒のある草を食べるようになったというのも、他の虫は食べない草を食べるという、生きるためのそれなりの進化なのであろう。ある種のニッチ人生なのだ。

しかし、カバマダラは日本で南西諸島には多くいるものの、ほかでは「迷蝶」といわれる、たまたま風に乗って流れてきたごく少ない蝶だ。つまり捕食者に苦い経験を積ませるにしてはあまりに数が少なく、それゆえ擬態としては、役に立たないものではないか、というのである。

英国で19世紀末の産業革命のときに、オオシモフリエダシャク(peppered moth)という白い蛾(*)が黒っぽく「進化」したと言われてきている。つまり、煤煙で空気が汚れ、木の肌や建物の壁が汚れていって、白い蛾が”不本意にも”目立つようになって、鳥に食べられてしまい、たまたま黒っぽく「進化」した蛾が選択的に生き残ったというのである。これは「工業暗化」(あるいは工業黒化)といわれる。

【2015年1月に追記】左の写真は、そのオオシモフリエダシャク。上が元の型。下が黒化型。英語名が「胡椒を振りかけたように」とあるように、もともと白いところに斑点状に黒い(茶色っぽい)ところがある蛾だが、下のものは明らかに全体の色が黒く「進化」している。(東京・上野の国立科学博物館で)。

つまり、この「工業暗化」はいままで現実に目撃されたなかでも、いちばん顕著な進化的変化だ、とされてきた。進化を学ぶ学生は、かならずこの例を教えられてきた。

しかし、近年では、この「工業暗化」は、じつは間違いではないか、という学説も出てきている。ただし、この学説は、進化論を認めない”学派”が喜んで支援している学説でもある。本当のところは、まだ、わからない。生物学は、まだ、その生物に直接訊いてみるほどは進んでいないのである。

また、この「工業暗化」をめぐる科学者の確執についての興味深い人間模様の本も出ている。科学者の確執や人間模様は、こういった生物学だけではないが、「時の人」から、最後は精神を病んで自殺に至った科学者の悲劇を描いた本でもある。

:*)蝶と蛾は、普通の日本人にとっては、かなり違うものだと考えられている。蝶は好きだが、蛾は嫌いという人が多い。しかし、生物学的には、蝶と蛾は、区別できないもので、たんに分類上、これは蝶、これは蛾と定義しているものにすぎないのだ。英語は日本語と同じで区別がある(**)が、げんにフランス語やドイツ語では、蝶と蛾の区別はない。フランス語の場合は、両方ともパピヨンだが、あえて区別するときは夜のパピヨンが蛾で、昼のパピヨンが蝶だという。このほか、インドネシア語やネパール語でも、このふたつの区別がないという。

**)英語圏でも、胴体が太くて、羽が小さいセセリチョウ(科の蝶)を、蝶(batterfly)でも蛾(moth)でもない、skipper(s)として別にしていることがある。チョウのことに詳しくない人が見たら、どう見ても蛾にしか見えないチョウだ。

ところで、ツマグロヒョウモンの幼虫は赤橙色と黒の縦縞に、トゲがいっぱい生えていて、毒々しい毛虫だ。ちょっと、触る気にはなれない。しかし、このトゲは刺さず、毒もない。成虫も幼虫も、見かけは武闘派に見えるが、その実、非戦派なのであろうか。

このツマグロヒョウモンも、なにかの試行錯誤の、まだ途中なのかもしれない。


 以下の茶色字は、 島村英紀『地球環境のしくみ』(2008年刊行)から。(48〜49頁)


 
でも、それだけではありません。こうして、世界の各地の気温が上がると、まず、それぞれの場所で育つことができる植物がちがってきます。

 寒い北海道よりも、温かい九州の方が、一般に、植物の発育がよいので、温暖化するのは、悪いことではないと思うかもしれません。しかし、そうではないのです。現在は、その土地の気温に適した、たくさんの動物や植物が、おたがいに助け合いながら、バランスよく育っているのです。これが生態系(せいたいけい)というものです。

 それが、急に、温度が変わると、生態系が崩れてしまい、大半の植物や動物は、減ってしまいます。ごく一部の、もっと高い温度を欲しがっていた植物や動物だけが、増えることになります。

 たとえば気温が2℃上がることは、植物が生える場所が、150キロから550キロほど、赤道のほうにずれることになります。また、もし山地ならば、150メートルから550メートルもふもとのほうに下がることになります。植物は育つのに適した気温の方に、だんだん移住していくのですが、成長が遅い植物では、この気温の移動に追いつかないことがあります。つまり、その植物は枯れて、その場所では絶えてしまうのです。

 生態系が変わると、特定の植物しか食べない動物や昆虫は、生きのびられないかもしれません。たとえば、蝶の多くは幼虫が食べる食草(しょくそう)というものがきまっていて、それ以外は食べません。本州の里山に住む美しい蝶ですが、近頃は数が減って心配されているギフチョウは、カンアオイという草の葉しか食べられないのです。

 農業や酪農も、いままでとはちがってきます。たとえば、夏が暑くなると、えさの牧草が減ってしまいます。このため、家畜が減って、牛乳や肉の生産量が減るのです。

 また、気候が変わることによって病害虫が発生しやすくなります。これも、農作物の生産をへらしてしまいます。

 つまり、温暖化によって、ごく一部の場所では、農業生産が増えるでしょうが、ほかの大部分では、農業生産が減ります。つまり、地球全体の食糧生産が減ってしまうのです。

(以下、略)


イラストは奈和浩子さん『地球環境のしくみ』のために描いてくださったものです。

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