『論壇』(朝日新聞。主張・解説面)、1997年9月25日

科学を置き去りにした新「地震予知」体制

新聞での題は「国の地震研究態勢を問う

 私たち地震学者は、このところ肩身が狭い。地震予知について、学者や、またそれを予算や体制面で支えてきた国はいままでなにをやってきたのかという批判が渦巻いているからである。阪神大震災であれほどの被害が出たうえ、東海地震の予知の難しさも明らかになり、「大地震の直前予知は困難」という記事が各紙にあふれた。

 しかし地震学者の言い分も聞いてほしい。いまは、これから地震予知やその関連する科学をどう進めていくかという重要な岐路だからである。

 まず反省からはじめなければならない。いままで30年以上にわたって同じ方針で続けられてきた地震予知計画は「戦略」に無理があった。前兆を捉えて実用的な地震予知をするという戦略である。いままでの地震予知計画はこの戦略を軸にして、長期的前兆を捉えて地域を絞り込む戦術とか基礎研究とかが組み込まれていたのだった。そして、この戦略が難しいことが露呈したのである。

 じつはこの戦略は、学者によって政府に「役立つ科学」として迎合した形で作られたものだ。国民の地震予知への期待を人質にとっているわけだから、役立つ計画にすれば予算や人員をとりやすかったのである。

 そのうえ、計画の策定とその後の実施の過程には限られた学者しか関与できなかった。閉鎖的に予算を配分していたから、予算を使えたのは、小規模の予算の例外を除けば、国立大学では旧制帝大だけであった。

 一方で、学問的には、近年地球科学は大きな進歩を遂げた。そのうちかなりの部分は地震予知計画に関連した科学的な成果として得られたものだ。つまり戦略の幹からではなくて枝葉の部分から科学的な成果が多く得られてきたのである。

 重要なことは、地震の研究は、地球を研究することと一体になった「科学」でないかぎりは進められない段階になっていることである。前兆をとらえて地震予知をする「技術」だけを目指した幅の狭い科学が失敗したのは、ここに問題があった。

 私たち学者から見れば地球は生きて動いているものだ。その息吹きが地震や火山なのである。地球の科学を総合的に進めることが、翻ってこれから起きる地震を知り、もちろん防災にも役立つことになる。

 ひとつの例をあげよう。日本でマグニチュード8以上の地震のほとんどは海底で起きた。私の専門では海底地震計というものが日本で開発され、基礎的な研究を行ってきた結果、地球のどういうところを舞台にしてなぜ、どんな地震が、どう出演するか、という研究がめざましく進んだ。

 ところで、阪神大震災以後、科学技術庁が主導権を取って、日本の地震の観測や組織が大きく変えられた。

 それまでの地震予知推進本部は解散し、地震防災対策特別措置法が作られて地震調査研究推進本部が発足した。この本部の下に政策委員会と、地震調査委員会が作られた。しかしこの本部が掲げている「地震に関する調査研究」は、じつは従来の地震予知関係の事業の実質的な継承にすぎない。

 政策委員会は、国としての地震の調査観測計画の策定や予算の調整を行っている。この委員会は委員の半数以上を省庁の役人が占め、地震学者の数はごく少ない。今までは科学者の討議で決められてきた計画の策定や予算の割り振りを政策委員会で行うことになり、科学者は委任された枠の中で作業するだけだ。それ以上重要な議論をすることは求められていない。 つまり私たち科学者が科学の現状を説明し、意見を反映させる仕組みはどこにもないのだ。

 地震予知計画に関与してきた学者に対する批判は深く受けとめなければならない。しかし、直前予知が難しいことが分かったとはいえ、これから地震についての調査や研究を進めることは科学の計画である。

 科学計画ならば、地震予知に関与してこなかった学者も含めて、学者が自由で開かれた議論をして新しい科学を組み立てる必要がある。国が方針や施策を与えて、その鋳型のなかに一本釣りした学者をはめこむのでは「役立つ科学」として迎合した過去の地震予知事業の過ちをくり返すことになろう。

 かなりの予算を使う研究でもあり、国民生活にも関係が深い学問だから、その進め方は、もちろん国民の理解を得て進めなければなるまい。ことは、地震研究にとどまらない。日本の科学政策が問われているのである。

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