島村英紀『夕刊フジ』 2015年7月31日(金曜)。5面。コラムその113 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

津波被災地が抱える復興後の課題
「夕刊フジ」の公式ホームページでの題は「津波被災地が抱える復興後の課題 「復興の優等生」も大きな問題」

 東日本のすぐ西側の日本海にプレート境界があることが常識になっている。この境界には西側にユーラシアプレート、東側に東日本を載せた北米プレートがある。

 しかし、この「常識」が作られたのはそれほど昔のことではない。1993年に起きた北海道南西沖地震が、この「常識」を確たるものにしたのだ。

 北海道南西沖地震が起きたのは今から22年前の7月。北海道南部の日本海岸沖に起きた。マグニチュード(M)は7.8。大津波が発生して、その死者行方不明者は230名を数えた。

 気象庁が出した津波警報は、震源に近い奥尻島では間に合わなかった。そのためもあって、おもに奥尻島で大きな被害を生んでしまった。

 この地震の10年前、1983年に秋田県の沖で日本海中部地震(M7.7)が起きて、100名もの津波による犠牲者を生んでいた。この二つの地震とも、プレート境界で起きる海溝型地震だった。いわば兄弟分の地震で、同じように大きな津波を生んだ。

 日本海中部地震が起きたときに、ここにはプレート境界があるはずだ、と言い出した学者がいた。NさんとKさんである。それまでは東日本も日本海もユーラシアプレートに載っていると思われていたのだ。

 しかしこの学説は冷遇された。日本の地震学会は保守的な体質だ。当時の学会の定説から離れたものは認めなかったのである。

 だが、北海道南西沖地震も起きたことで認めざるをえなくなった。10年という期間は二人にとっては長かった。

 北海道南西沖地震で被害が集中した奥尻島は面積143平方キロメートル。島全体が奥尻町になっている。

 阪神淡路大震災(1995年)よりも前だったこともあり、国や北海道、それに全国からの復興支援金が集まり、その総額は地震の被害額700億円をはるかに超えた。

 この復興支援金がいちばん多くつぎ込まれたのが総延長14キロメートルもの防潮堤だった。また町の中心の青苗地区には人工地盤の高台が作られた。住宅も高台に移転し、42カ所の避難路も作られた。被災者には新規住宅建設の費用として1400万円が支給され、漁船も新造された。復興支援金も使い果たされ、さらに町は債券も発行した。

 だが、その後の奥尻島には大きな問題がある。人口の減少と産業の不振だ。観光と漁業が主な産業だが、両方とも落ち込んでいる。人口もピークでは9000人、地震時には4700人だったが、いまは2900人になってしまった。

 2040年には人口がさらに減って1000人になるという見通しもある。それだけではない。せっかく作った防潮堤などのコンクリート構造物の寿命は40〜50年しかない。

 つまり2040年には「限界集落」を超えてしまうだけではなく、老朽化した防潮堤などの維持費も出せなくなるかもしれないのだ。

 地方を襲った大地震。「復興の優等生」も大きな問題をかかえているのである。

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