島村英紀『夕刊フジ』 2013年8月23日(金曜)。5面。コラムその16:「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

次の「関東大震災」は意外と近い?
3.11が周期をリセットした疑いあり

 東京に住む人たちは、ごく沿岸部は除いて、津波とは無縁だと思っていないだろうか。

 しかし津波が隅田川をさかのぼって、東京の山手線で一番北の方にある駒込駅の近くにある六義園(りくぎえん)にも届いたことがある。園内のほとんどの松が塩害で枯れてしまった。

 六義園は徳川五代将軍綱吉の時代の庭園で、7年の歳月をかけて完成したばかりだった。

 またこの津波で両国では隅田川の渡船が転覆して多くの死者を生んだ。

 その地震は元禄関東地震(1703年)。前回に書いた90年前の大正関東地震(1923年)の「先代」の海溝型地震である。

 海溝型地震は繰り返す。だが、まったく同じものが繰り返すわけではない。元禄関東地震はマグニチュード(M)8.1-8.2とされていて、大正関東地震(M7.9)よりも地震のエネルギーが倍以上も大きかった。

 津波も大正関東地震よりずっと大きかった。津波による死者は房総半島から伊豆半島まで数千人。なかでも小田原の被害は壊滅的で、地震と火災で小田原だけで死者は2000人を超えた。熱海でも7メートルの津波が襲い、残った家はわずか10戸だった。

 大正関東地震のときとは違って、鎌倉では鶴岡八幡宮も二の鳥居まで津波に襲われた。そこは海から2キロは優に離れている。

 つまり震源の拡がりも地震の規模も元禄関東地震のほうが大きかったのだ。関東地震の震源は相模湾から神奈川県のほぼ全域、そして千葉県の房総半島にかけての地下に拡がっていた。一方、元禄関東地震の震源はもう少し南と東、相模トラフや日本海溝近くまで伸びていたからである。

 首都圏を襲うこれらの地震のシリーズは、海溝型地震ゆえ、また将来起きることは確かなことだ。だが、いつ起きるかが、東日本大震災以降、地震学者の間でも議論が分かれるようになってしまった。

 それまでは「次の関東地震」までは少なくとも100年近くはあろうと思われていた。これは元禄関東地震と大正関東地震との時間間隔からの類推である。

 しかし、東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震はM9という途方もない大きさだった。これが日本の少なくとも東半分の地下をリセットしてしまった疑いが強い。まだまだ、と思われていた将来の地震が意外に近いかもしれないという考えが出てきているのである。

 もし起きて「先代」なみの大きさならば、震害だけではなくて、相模湾や房総の沿岸には大津波が押しよせるかもしれない。

 それだけではない。別の「事件」を誘発する可能性も否定できないのである。元禄関東地震の4年後に、いま恐れられている南海トラフ地震の、これも先代である宝永地震(東日本大震災なみの巨大地震)が起きたのだ。同年に富士山も噴火した。学問的な関連は分かっていないとはいえ、気味が悪い連鎖である。

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