島村英紀の「記者クラブ」批判
(既発表の著作からの抜粋)


1:島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』(講談社文庫)から
第U章: 世界最初の地震立法ができてから
第3節:急増した地震予知の予算
第4項:研究機関の「大本営」発表を垂れ流すメディア(105頁)

 
 いっぽうで、各省庁の研究機関が別々に予算申請し、別々に地震予知の観測をはじめたから、同じ観測器が、別々の小屋を建ててすぐそばに置いてあることもあった。データは、もちろん別々の電話線を引いて、東京近辺のそれぞれのお役所の研究所へ送られるのである。よく言えば研究競争、悪く言えば無駄である。

 また、大蔵省(いまの財務省)が次年度の予算を査定する季節、つまり毎年夏から秋にかけて、各省庁の各機関では、当時の大蔵省への影響を狙って、針小棒大に、地震予知研究の成果の「大本営発表」が目立った。大本営発表とは第二次大戦中、日本軍が国民に発表していた公式発表で、日本軍の敗北や撤退を決して伝えず、政府に都合のいいウソを伝えて国民を騙し続けた発表だった。当時の新聞やラジオは、それをそのまま国民に伝えていた。

 地震予知成功の「大本営発表」も、各省庁にある記者クラブで発表され、これらの宣伝は、メディアに乗って全国に流れた。旧ソ連や中国でうまくいったと報じられた手法を取り入れて、日本でも同じような前兆が捉えられたという、いまから見れば怪しげな結果も、堂々と各官庁から発表されていた。

 一般の人々が、なるほど前兆はこんなに捉えられているのか、それでは地震予知技術の完成は近いな、と思ったとしても不思議ではない。


第U章: 世界最初の地震立法ができてから
第7節:メディアはなにをしていた?
第1項:科学者とメディアの馴れ合い(125頁)

 いっぽう私たち地震学者から見て不満だったのは、本来メディアの命であるはずのチェック機構が地震予知研究には働かなかったことだ。

 発表者は自分の結果に都合が悪いことはメディアには発表しない。発表するのは都合のいいところだけだ。

 かくて、新しい前兆の発見はもちろん、地震予知とはほとんど関係がない地球物理学や海洋学の基礎研究まで、「地震予知に役立つ」として発表される。多くの場合、発表者は官庁の予算獲得の「先兵」としての役割を担って発表をしているのである。

 各省庁にある
記者クラブの「利点」は最大限に利用された。ただでさえ複雑で多岐にわたる科学情報を、親切に資料を用意して説明してくれる各官庁の受け売りをするだけで当面の科学記事はできてしまう。特オチ(他社には記事が出て、自社だけ出ない失策)の心配もない。

 下手に官庁に楯突いて、その後
記者クラブで情報をもらえなくなったりしたら困る、という判断もあったろう。私たち同僚の科学者から見ても、その程度の観測からそんな結論が言えるのだろうか、と首を傾げるような発表がそのまま記事になっていたり、歯の浮くような宣伝をそのまま受け売りしたり、という記事が目立った。

 好意的に解釈すれば、メディアにも事情があったのだろう。裏をとろうにも、評価できるのは同じ学会に属する科学者仲間しかいない。それゆえ客観的で厳しい評価にはなりにくい。

 他方、科学者の側にも事情がある。たとえば他人の研究に厳しい評価をしたことが報じられたり、報じられなくてもいずれ知れわたると、将来の昇進や科学研究費の配分にも響きかねないのが科学者の世界なのである。

 かくて、新聞もテレビも、「地震の前に起きた現象をひとつ見つけただけの」前兆(かもしれないもの)の報告を「地震予知の成功」とセンセーショナルに報じるばかりだった。科学者を「増長」させた一因はメディアにもあったというべきであろう。新薬や病気の新しい治療法の発表と同じで、国民を人質に取った科学の報道は、針小棒大になりがちである。

 また、大震法の成立以後、関東大震災が起きた日である毎年9月1日の防災の日には、「模擬」判定会が招集され、委員の招請がテレビで報道される。また、総理大臣から全市町村へ「模擬」警戒宣言が伝達される。

 つまり地震予知はできる、地震予知に失敗しての不意打ちはない、という政府の国民への宣伝の刷りこみの一翼をメディアが担ったのである。この官製の大宣伝に、メディアは疑問を呈したことがあっただろうか。

 もっとも、ある程度内情を知ると、日本の科学メディアの貧しさも見えてくる。どの新聞社でも放送局でも、科学部記者は、いくら敏腕でも、陽の当たる政治部記者や社会部記者のような「花形記者」にはなりえない。せっかく書いた科学記事は「ヒマだね」や「話題」扱いがほとんどだ。

 各社の科学部記者の人数もごく限られている。その少ない人数で宇宙から臓器移植から遺伝子組み換え作物から地震予知までカバーしようというのが、そもそも無理なのであろう。

 つまり、新聞社や放送局の中では、科学記事は他社と横並びで十分、科学部はほかの部からの問い合わせに答えるための便利屋という程度の認識なのではないだろうか。

 もちろん、これはメディアだけの問題ではない。

 科学立国だといいながら、日本の科学政策が貧困なことを反映しているのである。日本の科学政策は、原子力だ宇宙だといった「国策」以外は、場当たりでおざなりなものが続いてきているのが日本の不幸だと私は思う。


2:島村英紀『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』(講談社文庫)から

■取り調べ・その二(99頁)

 拘置所での最初の取り調べが逮捕翌日の2月2日。翌日は札幌地裁に勾留質問手続のために行ったから、次の取り調べは翌2月4日だった、これから、ほとんど連日、取り調べが続くことになった。

 2月4日、土曜の取り調べは13時から20時までの7時間だった。土日は弁護士とは会えないから、検事は手ぐすねをひいて待っている日なのである。

 夕食時だけは中断があった。私は看守に付き添われて独房へ帰り、聞いたら、検事たちはコンビニ弁当を食べたという。

 2月5日。日曜。取り調べはやはり13時から20時までの7時間だった。同じように夕食時だけは中断があった。じつは前日の話では午前中から取り調べ、ということだったが、午後からだけだった。

 検察庁内の検事の打ち合わせのためか、別の関係者の調べか、疲れたのか。私からあとで聞いた弁護士は「朝、起きられなかったのだろう」と毒づいていた。

 取り調べ中にも、志村検事は目をしょぼしょぼさせたり、メガネを外して目を閉じたり、「お疲れ」の様子も見える。

 取り調べ中に「雑談」をすることがある。私のカメラの趣味の話が出た。志村検事は、私のホームページを見たという。

 しかし雑談にも魂胆が隠れていることがある。

 高価なカメラはない、私が趣味で集めているいちばん高いカメラは欧州の中古カメラ屋で買った69000円、カメラのほとんどはずっと昔から持っていた、ということも聞き出される。容疑の詐欺罪の金の流れの尻尾を掴もうとしたのであろう。

 翌二月六日。月曜。取り調べは取調室の壁の時計で14時20分から17時20分のわずか3時間。しかも夕食の中断もあった。実質二時間の調べだ。

 2月7日。火曜。この日の取り調べも15時50分から16時15分のたった25分だけと、意外に短かかった。じつは16時15分は夕食の時間だ。夕食中断後、毎日16時55分にある点呼のときには独房にいなくていいから取り調べ、と通知してきたが、すぐあとで取り消しという通知が独房に来る。

 この二日間の調べの短さは異常だった。ノルウェーの新聞記事が北海道新聞に報道されたために、善後策で忙しくなったに違いない。

 弁護士によれば、ノルウェー・ベルゲンの新聞に、ベルゲン大学の研究所長が「詐欺にあった覚えはない」と明言し、それが北海道新聞に出たという。もともとは共同通信が私の逮捕を各国に報じて、それを受けてのノルウェー側の反応だった。

 各地の検察庁では、毎日、次席検事が記者会見をするのが習わしになっている。札幌地検でも、毎日16時半に、次席検事が定例記者会見をしている。

 その次席検事の威勢が急に悪くなったと、弁護士は聞いてきたのである。

 この記者会見は、検察情報、取り調べ情報、容疑者の様子などを発表するものだ。被疑者が手足を縛られて、つまり勾留されていてなにも言えないし、弁護士も立場上言えないときに、検察側に有利な情報だけを、一方的に、勝手に、垂れ流している。こうして、被疑者が悪者だという世論を作っていくのである。

 記者クラブに属する司法記者たちも、検察にたてついてニュースを貰えなくなると困るので、そのまま垂れ流す慣習になっている。これも、日本の司法制度と記者クラブ制の悪弊のひとつだろう。


 

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