島村英紀『夕刊フジ』 2015年12月25日(金曜)。5面。コラムその133 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

災害は年末年始も容赦しない

 地震や火山噴火などの自然現象は人間の都合を考えて起きてくれるわけではない。年末や年始にも起きる。

 年も押し詰まった1994年12月28日、「三陸はるか沖地震」が起きた。マグニチュード(M)は7.6。青森県八戸を中心に激しい揺れに襲われて死者3名、家屋の全壊48棟を出した。

 死者のすべてはパチンコ店の客だった。地震に襲われたのは夜9時すぎ。地元のパチンコ店には200名以上の客がいたが、建物が倒壊して逃げ遅れた客が犠牲になったのである。

 パチンコ店の客は、もっとも逃げおくれる可能性が高い客にちがいない。店を出るときでないと精算ができないからだ。精算せずに逃げ出したら客には不利になる。

 これとは逆の例が、この連載でかつて紹介した1927年に京都府北部で起きた北丹後地震(M7.3)のときにあった。大阪梅田の駅前にある阪急百貨店では、地震のときに客の食い逃げが莫大な額に達した。それゆえ地震後に後払いをやめ、日本では初めての前金制の食券を取り入れた。これなら取りっぱぐれはない。店は損をしないわけだ。

 この「三陸はるか沖地震」は地震学的には奇妙な地震だった。というのもこの地震の震源が1968年に起きた十勝沖地震(M7.9)の震源の南側約4分の1ほどと重なっていたからだ。

 1968年の十勝沖地震と同じような海溝型地震が起きたとすると、30年もたたないうちに地震エネルギーが溜まってまた大地震が起きたことになる。海溝型としては期間が短く不思議だった。

 このため、十勝沖地震の震源の中で「壊れ残った部分」があって、それがこの地震を起こしたのではないかという学説が出た。地震は「はるか沖」と名づけられたが、震源は八戸沖100キロメートルあまり。日本海溝よりはずっと本州に近い。

 他方、震源の深さが海溝型地震としては浅かったことから、海溝型地震ではない内陸直下型地震がここで起きたのではないかという学説もある。結局、決着がつかなかった。

 この後者の可能性がないわけではない。1978年に起きた宮城県沖地震(M7.4)は仙台市を中心に死者28名を出すなど大きな被害を生んだ。戦後、人口50万人以上の都市を襲ったはじめての大地震といわれ、ブロック塀が倒れて多くの死者を生んでしまったり、マンションの鉄のドアが変形して開かなくなったり、都市ガスが長期間止まるなどの都市型の事故が相次いだ。

 この宮城県沖地震は海溝近くで起きる海溝型地震ではなくて、明らかにもっと本州に近い宮城県沖で起きた地震だ。

 この宮城県沖地震は、これまで25〜40年という比較的短い間隔でM7.5クラスの地震が繰り返し発生してきたことが分かっている。この地震のひとう前は1937年だった。

 このタイプの地震が八戸の沖にも起きたのでは、というのがひとつの学説なのである。

 この三陸はるか沖地震から20日後の1995年1月17日には阪神淡路大震災(兵庫県南部地震、M7.3)が起きて、6400人以上の犠牲者を生んでしまった。さんざんの年末と年始だった。

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