島村英紀『夕刊フジ』 2016年4月1日(金曜)。5面。コラムその145 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

全国各地で危ぶまれる「ガラスの雨」
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「全国各地で危ぶまれる”ガラスの雨” ガラスの古い固定方法は”既存不適格”」

 起きた日時のおかげで被害が最小限に抑えられた地震がある。

 2005年3月20日に起きた福岡県西方沖地震。マグニチュード(M)7.0の直下型地震だった。福岡市などで約1万棟が損壊した。

 起きたのは午前11時前。春分の日の休日だった。福岡市中心部、天神(てんじん)のオフィス街の10階建てのビルで、窓ガラスの3割、440枚ものガラスが砕けて道に落ちた。付近はガラスの海になった。

 休日でなければ、サラリーマンなど多くの人々がこの道を歩いていた。また、平日の夜ならば、ここにいつも店を出している「天神の母」とよばれる占い師の前に行列が出来ていたところだ。休日の朝だったから大惨事を避けられたのだった。

 ふだんから有感地震(身体に感じる地震)が少なく、大地震はないと思われていた大都会、福岡を襲った大地震。震源は福岡のすぐ北西の海底だった。福岡周辺には大地震が起きた記録がない。つまり、この地震は日本史上、初めてこの辺に起きた大地震だった。

 震源に近い玄界島では住宅の半数が全壊して全島避難するなど、博多湾の沿岸地区で大きな被害が出た。

 福岡市の市街地ではマンションの地震保険が問題になった。

 マンション9棟が半壊、約100棟が一部損壊した。このとき問題になったのはマンションの共有部分が地震保険に加入していなかったので保険が下りなかったことだ。当時の福岡県のマンションは共有部分の地震保険加入率が2割しかなく、住民が負担せざるを得なかった。

 また、地震保険の被害の査定は「構造耐力上」主要な部分である柱や壁などだけしか対象にならない。このため地震保険に加入していても、非構造壁や廊下などに亀裂が入る被害だと支払ってもらえないことがあった。

 ところで、ガラスの雨を降らせたビルは西鉄本社ビルで、1961年に建った古いものだった。

 建築当時の工法では、ビルの窓ガラスを硬化性のパテで窓枠に固定してあった。このため、地震でビルが揺れたり変形すると、ガラスが割れてしまうことになったのだ。

 じつは1978年に起きた宮城県沖地震(M7.4)のときも仙台市内のビルからガラスの雨が降った。

 この教訓から、翌1979年に当時の建設省はガラスの固定方法を見直し、柔らかいシリコンゴムなど軟質素材のパテで固定するように規定を変えた。また近年では、割れても脱落しない「合わせガラス」を使っているビルも多い。

 しかし、この工法見直しはあくまで新築のビルが対象だ。

 2005年に国土交通省は全国の自治体に「1978年以前施工の3階建て以上で、中心市街地の避難道路などに面する建築物」を調査し改修などを指導する通知を出した。

 だが、まだ古いビルは多く残っている。ガラスの古い固定方法は「法律違反」ではなく「既存不適格」なのである。そのうえ「中心市街地の避難道路に面する建築物」以外はなんの指導もない。

 つまり、あちこちのビルでガラスの雨が降る可能性がいまでも残っているのだ。

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