島村英紀『長周新聞』2014年4月9日(水曜)号。4面。(その記事は)

巨大科学が「肥大科学」になってしまった日本
「理研・STAP・小保方」問題

 理化学研究所(理研)のSTAP細胞の問題がメディアをにぎわしている。「リケジョ」と持ち上げられた小保方晴子博士が一転、袋叩きに遭っていて、彼女だけを悪者にして、理研がせいぜい「監督不十分」だったという結末で逃げ切ろうという動向が目立つ。

 しかし、科学者としてこの問題を見ている私には、本当に問題なのは日本最大の科学研究所・理研という組織のありかたや、日本の科学者全体が置かれている現状であるように見える。

 研究には研究費が必要である。日本の科学は一時よりは研究費が潤沢になった。その研究費は20年前には西欧各国に比べてずっと見劣りしていた。だが、近年では「重点的」な分野では、少なくとも西欧なみ、あるいはそれ以上の研究費が出るようになっている。

 しかし、ここには二つの問題がある。ひとつは「重点的」な分野を科学者ではない政府や官僚が選んでいることだ。そしてもうひとつの問題は、それら重点的な分野の多くでは、たとえ研究費が潤沢でも、研究者はおいそれとは育っていないことなのである。

 「重点化」でもっとも潤ったのは理研である。年間の研究費の総額が844億円(2013年度)という、大きな国立大学なみの予算を使える大研究所になった。研究者の数は3500人を超える。もともと理研は1917年に渋沢栄一らが作ったもので、当時の一流の科学者がそれまでの日本にはない自由な研究所という意気込みで発足したものだ。

 戦後は科学技術庁の傘下に入り、科学技術振興の国策の許、潤沢な研究費を得るようになった。日本での科学技術の研究は、当時は科学技術庁と文部省の二本立てになっていて、科学技術庁と文部省とは水と油であった。科学技術庁は国策として推進するいくつかの重点だけを推進する役所で、具体的には原子力や大型ロケットに多大な研究費を支給していた。これらは日本が核ミサイルを持てるようになるための研究だという指摘もある。

 理研の「親」官庁が科学技術庁だったことから、現在では理研の理事6人のうち2人が科学技術庁からのお役人の天下りである。他方、文部省は国立大学や国立研究所の全部を主管していた。

 理研を含めて国立大学や国立研究所で行われる研究にとって激震をもたらしたものがある。2004年に行われた独立法人化だ。これによって、それぞれの研究機関は「自前で研究費を稼ぐ」ことが求められるようになった。

 このことによって、「研究費をとりやすい分野」で「短期間に成果が上がる」研究へのシフトが一斉に行われるようになった。

 分野としてはバイオ、ナノテク、再生医療、脳科学、ゲノム解析、スーパーコンピューターといった分野が陽の当たる一方、それ以外の分野では、日本全体で極端に研究費が出にくくなった。研究というものは裾野が広いピラミッドであり、「頂上」だけでは研究が伸びない。また、数十年先に何が実るのかは研究者でさえ分からない。広い分野で研究を進めなければならない理由はここにある。

 そしてもうひとつ大きな問題は、「短期間に成果が上げなければならない」制約である。科学者からいえば「三振かホームランか」というバットの振り方が出来なくなってしまった。ショートを超えるくらいのちょっとしたヒットをたくさん打つことだけが求められているのである。ホームランでこそ大きく進歩する研究がゆがめられてしまったのだ。

 こうして理研も「陽が当たる」分野に集中的に研究費や研究陣を配置するようになった。また研究費を効率よく集めるための宣伝や広報にも力を入れるようになった。もともとは東京・駒込の小さな建物から立ち上がった理研だが、いまは埼玉県和光市に巨大な研究所を擁するほか、横浜、神戸、大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)などを日本各地に展開している。

 このうち神戸の「発生・再生科学総合研究センター」で、今回のSTAP細胞の問題が起きた。ここは2002年に作られた理研としては新しい組織で、独立法人化以後の理研だけではなくて日本の科学研究の象徴のような組織でもあった。

 たとえば今回の問題でよく名前が出るセンター長をはじめ、副センター長も、小保方晴子研究ユニットリーダー(大学では教授にあたる)も、じつは時限の科学者である。つまり短期間に業績を上げなければ、組織の将来も、また彼らの将来もない。

 じつは、この発生・再生科学総合研究センターの英語名には「再生科学」がない。つまり再生科学は国内向け、具体的には予算対策上の名前なのである。そうまでして「陽に当たりたい」願望が研究所の日本名まで変えてしまった。

 再生科学や再生医学は京大の山中伸弥教授のiPS細胞が花形である。多くの国費と科学者をかかえる大組織が国費で作られて研究を進めている。iPS細胞とは別の、もっと簡単な手法で再生可能な細胞が出来てガン化の危険もないという今回の理研の発表は、明らかに山中氏のiPS細胞を標的にしている。しかも、もともとは京大の業績ではなくて、山中氏が奈良先端科学技術大学院大学にいたときの業績だから、京大だけが陽が当たるのは面白くない、という意識があった。

 陽が当たって研究費は潤沢な研究分野、しかしそれを推進すべき科学者はすべて尻に火がついた時限、そして目の前の京大の「業績」、役人出身の理事からの圧力、「大」理研としての自負、金づるのスポンサーからの期待、こういったいくつもの要因から、焦りがなかったとは決して言えまい。

 これは理研だけの問題ではない。国策として推進されている科学すべてに、同じような潜在的な問題がある。一昨年、東京大学地震研究所が首都圏に4年以内に70%の確率で直下型地震が起きると読売新聞の記者を呼んで発表したのも、根はまったく同じだ。破格の研究費を貰いながら、その最終年度までにほとんど研究成果が上がらずに「風船」を打ち上げたことが裏目に出て、その結果のずさんさを四方から批判されることになった。

 このほかいくつかの研究所で、買ったはいいが使わない高価な機器が廊下で山積みになっていることもある。2009年、民主党政権のときに理研は最初の事業仕訳の対象に挙げられた。在籍科学者の夫人6人をも研究補助者に雇って月給50万円を支給したり、特定の会社との不明朗な多額取引があるなど、研究の管理体制を問われたものだ。

 日本の巨大科学は、国策のもと、「巨大な」研究費を使いながら、研究者はなかなか育たない。ショート越えのヒットばかり打つ訓練をさせられるし、しかも時限の科学者なのだから、有能な科学者がたくさん集まるということはなくなってしまっている。これが科学として将来本当に伸びる大きな障害になっている。

 日本の巨大科学は、「肥大科学」になってしまっているのである。


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